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1208. 記号に呪縛される私たち


今朝、起床してみると、昨日の暑いとも言えるような一日が嘘であったかのように、とても涼しい世界が広がっていることに気づいた。

夏を迎えてからは、リビングの窓を開け、寝室のドアを開けて寝ているため、リビングの窓からひんやりとした空気が流れ込んでくるのがわかった。しかし、夏を迎えたにもかかわらず、寝室の窓を開けて寝ることはない。

一つには、フローニンゲンの朝と夜は気温が低くなるからである。また、近所はとても静かな環境なのだが、私の就寝時間は他の人よりもかなり早いため、入眠に向かう最中に近所の物音が聞こえてくるのを防ぐためでもある。

今日からは、再び気温がいつもどおりに戻り、涼しい気温がこの先一週間は続く見込みである。 昨夜は、特に何の夢も見なかった。だが、その代わりに、夢を見ない深い睡眠状態の中で、私は大きな気づきをいくつか得ているようだった。

一度、早朝未明に目を覚まし、自分が非常に重要な気づきを得たことを知った。その場で日記に書き留めているとばかり思っていたのだが、それは半覚醒の意識状態における誤解だった。

それらの気づきが何であったかを具体的には覚えていないが、眠りの意識を通過することによって、自分の内側の全てのものが再構成され、起床直後に何かしらの文章を書くことの意義を実感していたのは確かだ。

今実際に、起床直後にこのように文章を書いているのも、そうした意義を強く実感したからだろう。睡眠状態の意識を挟むことによって、再構成のみならず、そこから新たなものが生み出されるという再創造のような現象が生じていることもわかる。

これまでも、起床直後に日記を書き留めるということを行っていたが、今日からはまた、その意義を強く認識する形でそれを行っていくことになるだろう。 昨日、教育哲学者のインナ・セメツキーの示唆に富む論文を読んでいる時、チャールズ・サンダース・パースの記号論に立ち返る機会があった。一昨年、日本に滞在していた時に、パースの全集 “The Essential Peirce: Selected Philosophical Writings (1992)”の第1巻と第2巻を一読し、それ以降、パースは私にとって重要な哲学者となった。

パースは、この世界の全てのものが記号であるという発想を持っている。ただし、記号として解釈されなければ、それは記号ではない、という発言も付け加えている。

この発言を思い出した時、私は一昨日の不気味な夢について振り返っていた。夢の中は、言葉と言葉にならない記号で溢れている。

パースの考え方を採用すれば、それらの無数の記号を私が記号だと認識した瞬間に、それは何らかの意味を持つ記号となる。そのように考えてみると、夢を構成する無数の記号のうち、それらの中で私に記号だと見なされたものはごくわずかに過ぎないことを知る。

それぐらいに、夢の世界には、記号として認識されることを待つもので溢れているのだ。そして、これは何も夢の世界の中だけに限らず、私たちの社会そのものが、無数の記号で溢れかえっていることにも気づく。

この社会には、私たちが記号だと気づかない記号が私たちに多大な影響を与え続けていることに考えを巡らせていた。とりわけ、社会の発想の枠組みというのは、本質的に記号なのだが、私たちの多くは、そうした記号体系に盲目的であり、記号に呪縛されるという事態に陥っている。

パースの指摘するように、記号は他の記号と相互作用をなすため、社会の発想の枠組みという記号と、私たちの脳や精神という記号は、必然的にお互いに影響を与え合うことになる。つまり、社会の発想の枠組みは、不可避的に私たちの脳や精神を形作ることにつながるのだ。

そのようなことを考えていると、この世界がどのような記号で成り立っているのかに対する意識をより明確にしていくことは、不用意に記号に呪縛されることを防ぐための第一歩だと思うのだ。2017/6/23

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