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1190. 刻印と刻成


それは黄色というよりも、黄金色と形容した方がふさわしい朝日だった。早朝目を覚ますと、まばゆいほどの朝日が寝室全体を包んでいた。

目を開けた時の黄金の輝きと相まって、先ほどまで見ていた夢の内容が、なぜだかもう一度まばゆく鮮明に思い出されるかのようであった。夢の中で私は、懐かしい旧友たちと旧交を温めていた。

夢の中で何を話し、何をしていたかは、ここでは問題にならない。問題として取り上げるべきは、夢の核にあるものであり、今この瞬間の私を促す何かである。

つまり、書き留めるための必然性を生むものだと言っていいだろう。欧州での生活を始めてから、旧友が登場する夢が多くなったような気がしている。

もしかすると、以前からそうした夢を見ていたのかもしれないが、その頻度が高まっているような気がするのだ。この現象は、私にとって一体どのようなことを意味するのだろうか。

日々、何かに向かって進んでいるような気がしながらも、何かに帰っていくような感覚が絶えずある。表現するのは難しいが、それは失われたものを取り戻すような感覚、いや、刻印されたものをもう一度自分の内から外へと顕現させるような感覚がするのである。

この感覚を促すかのように、夢の中では昔の友人が登場し、過去の生活地などが想起されるのかもしれない。今朝はとりわけ、内側に流れている感覚が不思議なものに知覚された。

それはまるで、昨日までにないような感覚を獲得したかのような感覚、と表現できるかもしれない。この感覚は、今日から本当に何か新しいことが始まるかのような思いを引き起こす。

人生の進行は極めて緩やかであり、同時にそれは不可避に進んでいくようなものだとつくづく思わされる。今の私は、やはり、自分の中の奥深くにあるものに帰り、そこから何かを刻成していかなければならないのだと思う。

起点は常に、自分の深層であり、表層ではない。また、起点を他者の深層に置いてはならず、自分の深層に置かなければならない。

自らの深層から、つまり、自分の中に刻印されたものから刻成していくことこそが、自らの生を歩んでいくことに他ならないのだと知る。同時にそれこそが、全ての表現の根幹になければならず、全ての実践はそこから始めなければならない。

そこを起点としない表現も実践も、偽りのものだという気持ちがふつふつと湧き上がる。表現と実践の起点を自己の深層に置いて初めて、それらに社会性というものが備わるような気さえする。

表現や実践が社会的であるための最低条件は、それらが己に刻印されたものから生み出されたものかどうかにあるのではないだろうか。自分の深層に根ざしていない表現や実践が、真に社会的なものになるはずはない、という思いが起こる。

そのような表現や実践には、決定的に重さと責任が欠けているのだ。自己を捉えてやまないものから全てを始めなければならない。

そこから表現と実践に従事していくことが、どれほど大事なことなのかに、ようやく気付かされた気持ちである。自己の奥深くに根ざされていない表現や実践は、自分の内側から排斥されなければならない。

そのような思いを持ちながら、私は黄金色に輝く朝日を眺めていた。2017/6/19

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