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1186. 慟哭


昨夜の就寝前に慟哭に襲われた。ただしそれは、悲しみの慟哭ではなく、嘆きの慟哭だった。時に私は、こうした慟哭に襲われることがしばしばある。

日本を離れ、米国で生活をし始めてから、特にそれは定期的に現れるようになり、欧州で生活をする今も、同じような頻度でそれに襲われる。

昨夜の慟哭をもたらしたのは、私たちが最後の一日を過ごす際に、果たして本当に「金銭の獲得」や「生産性の拡大」を叫びながら過ごすことができるのか、仮にできないのであれば、なぜ今それを叫ぼうとするのかに対する嘆きだった。

なぜ最後の日に主張できないことを、今この瞬間に盲信的に主張しようとするのか、それに対する憤りのようなものに私は包まれていた。これは、文化人類学者のアーネスト・ベッカーが指摘するような「死の拒絶」からもたらされているのだろうか。

なぜ私たちは、自らの死の直前に主張できないことを、今この瞬間に主張しようとするのだろうか。なぜ私たちは、自らの最後の日と同じように、今日という日を過ごすことができないのだろうか。

最後の日における死の直前に、札束を握りしめて銀行口座の数字を気にする人間が一体何人いるのだろうか。最後の最後まで、貪欲に何かを消費しようとするような人間が一体何人いるのだろうか。

生産性を強調する人間は、それでは果たして最後の最後まで生産性を追い求め、生産的に死のうとするのだろうか。もし仮に、そんなことはないと言うのであれば、なぜそれらを今求め、それらを今声高に主張しようとするのだろうか。

昨夜の私は、最後の日と今日の日における言行不一致の状況に憤りを感じていた。そしてもう一つ、嘆きを感じている対象があるようだった。

それは一つ目の点とも関係している。それは、個人と社会の乖離に関する問題である。

その問題は、個人の内面的な問題を取り上げるとき、それがいかに社会的な問題と深く結びついているかに対する洞察、逆に社会的な問題を取り上げるとき、それがいかに個人の内面的な問題に結びついているかに対する洞察の欠如だと言っていい。

社会の問題に対峙するとき、それは個人の内面的な問題と分かち難く結びついているという意識の希薄さや、個人の内面の問題に対峙するとき、それは社会の問題と分かち難く結びついているという意識の希薄さに対して、私は憤りを感じていた。

本来、社会の問題に向き合うというのは、個人の内面に向き合うことを強制し、個人の内面の問題に向き合うというのは、社会の問題に向き合うことを強制するはずなのだ。なぜそれが乖離した形で取り扱われるのかに対して、私は強い嘆きの感情を持っていた。

なぜ私たちは、個人の問題を社会の問題として向き合うことができないのだろうか。なぜ私たちは、社会の問題を個人の問題として向き合うことができないのだろうか。

そうした乖離そのものに対して、そして、乖離した状態で個人の問題や社会の問題を扱おうとする人たちに対して、やり場のない憤りを持っていた。 そのような感情を抱いたまま就寝し、先ほど目覚めた。起床してみると、自分の内側の世界が津波のようなものに襲われていた形跡を見た。

大きなうねりが自分の内側の世界を通り抜け、それが去って行ったのだという感覚が確かにあった。それは完全に立ち去り、外の世界も内の世界もとても静かだった。

だが、それが通ったという生々しい痕跡があるのは紛れもない事実であり、津波のようなうねりの感情が立ち去ったその後も、その痕跡は私の内側の世界に残り続けている。

そして、その痕跡はおそらく、今後一生残り続けるだろう。2017/6/18

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