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1171. 意味への意志と献身


今日も爽やかな風が書斎に吹き込む一日である。北欧にほど近いオランダのこの地において、六月半ばの気候というのは、大変過ごしやすいものなのだということを知る。

昨年の今頃は、私はまだ日本に滞在しており、日本の梅雨を経験していたように思う。日本の梅雨が自分の中で消しさえることのできない心象風景の一つを成しているのは紛れもない事実だが、日本の梅雨がどのようなものであったかを忘れてしまうかのような気候の中に今の私はいる。

食卓の窓から景色を眺めると、一つの飛行機雲が別の飛行機雲の上を通過していた。それを目撃した瞬間、改めて人間の仕事の性質について考えいていた。

つくづく、私たちの仕事は、過去の人たちの仕事を基礎にして成り立ち、私たち自身の仕事は次の世代の人たちの基礎になることを思う。そのようなことを思うと、毎日の自分の仕事がいかに過去の人たちの仕事の上に成り立っているかがわかる。

また、今日の自分の仕事が明日の誰かの仕事につながっていることがわかると、今日の自分の仕事の中に大切な意味を見出すことができる。日々の仕事に意味を見出し、意味を積み重ねていくことは、私にとってとても大切なことなのだ。 自分の仕事が過去の誰かの仕事の上に成り立ち、今日の自分の仕事が明日の誰かの仕事の基礎になることを知れば知るだけ、毎日の自分の仕事を書き残しておくことが重要なことのように思われた。

それはもちろん、自分が他の人のどのような仕事の上に立脚して日々の仕事を進めているのかを把握するためでもあり、自分がどのような方向性に向かって歩いているのかを知るためでもある。日々の歩みを観察し、それを書き留めておけばおくほどに、日々新たな意味を仕事に見出し、それが毎日少しずつ堆積していくのがわかる。

こうしたことを日々実感すればするほど、意味の総体というのは、待っていて見出されるようなものでは決してないように思う。

意味を見出そうとする私たち人間の根源的な欲求に従いながら、絶えず意味を発見しようと尽力し、何も見出すことができなかったとしても、それすらも自己の経験に刻み込んでいく過程の中で、意味の総体というのは徐々に姿を現してくるのだと思う。

仕事や人生における意味というのは、降ってこないのだ。それらは突然自分の眼の前に現れることがあったとしても、その背後には、膨大な蓄積があるのだ。

その蓄積をもたらすのは、意味を見出そうとする意志であり、意味を積み重ねていこうとする献身にある気がしてならない。2017/6/14

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