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1154. 終末の日


昨夜の、激しく外側に形になろうとする思考や感覚について、また少し考えていた。というよりも、それについて立ち止まって考えなければ、一切の仕事が手につかないのであるから、立ち止まって考えざるをえなかった。

昨夜、内側で暴れ出すような思考や感覚を鎮めるために居ても立っても居られなくなった私は、それらをノートにメモしておいた。そのメモを見返すと、一つ重要な事柄が記されていた。それは、意識の発達を手放しに推奨する安直な発想に対する警鐘と関係しており、終末の日に関するものだった。

これは昨年のちょうど今頃に日記に書き留めていたことだと思うが、「意識の発達がこの世界の問題を解決する」などという安易な発想を持ってはならない。結論から述べると、それは幻想である。

昨年の私はこうした幻想的な考え方を説明する際に、「涅槃的誤謬(nirvana fallacy)」という概念を用いていたように思う。涅槃的誤謬とは、非現実的なものや空想的なものを現実的なものと取り違え、非現実的・空想的な手段を持ってして、現実の課題に対処しようとする認識上の誤りのことを指す。

実際に現実の課題に向き合おうとしているのであればまだ救いはあるが、「意識の発達がこの世界の問題を解決する」という主張を述べる者の多くは、現実の課題に向き合おうとする発想そのものが希薄である。実際には、私たちを取り巻く外的世界の問題は、意識の発達が実現されたところで解決されるような甘いものではない。

それよりもむしろ、意識の高度化は必然的により高度な課題を私たちに突きつけるということを忘れてはならない。仮に集合的な規模での意識の発達が既存の問題を解決することがあったとしても、私たちは、既存の問題以上に複雑で深刻な問題と向き合うことを宿命付けられている、ということを忘れてはならないだろう。 昨夜、そこからさらに考えていたのは、終末の日についてであった。何度も何度も思考実験を繰り返してみても、地球が崩壊し、人類が滅亡するシナリオは無数に生まれてくるのに対し、地球と人類が存続し続けるというシナリオを考えることは絶望的なまでに難しかった。

私たち個人、組織、社会は、複雑な要素が相互に影響を与え合ったダイナミックシステムである。ダイナミックシステムは、それが質的な成長を遂げることには時間がかかるが、システム全体が機能不全に陥るのは一瞬だという特徴がある。

そして、システムの複雑性が増せば増す分、崩壊時の被害が絶望的なものになっていく。それはここ最近の歴史を振り返ってみても明らかだろう。

例えば、金融市場の複雑性が増し、そこでの一つの歪みが結果として全世界的な経済不況を起こしたことは記憶に新しいだろう。私たち個人、組織、社会というダイナミックシステムは、成長に伴ってその複雑性が増せば増すだけ、このようにたったひとつのボタンの掛け違いによって、悲劇的な状況をもたらすのだ。

ここからさらに、私たち個人、組織、社会が成長していくことによって複雑性が増すことは、非常におぞましい惨事をもたらしかねない道を歩んでいることに思えて仕方ない。個人も組織も社会も、成長の道を一歩一歩進んで行くことが宿命づけられているのであれば、少なくとも、成長に伴う危機の増大について理解をしておかなければならない。

ダイナミックシステムの成長は時間のかかるものでありながら、その崩壊は本当に一瞬なのだ・・・。2017/6/10

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