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1140. 知識の実装化に向けて


白と黒。生と死。死と再生。そうした対極性を想起させるような景色が書斎の窓の外に広がっている。

数日前から一日のうちのある時間帯において、少しばかり雨が降ることが続いていた。この状況は明日以降もしばらく続くようである。

今日も、午前中は晴れていたが、昼食前から小雨が降り始め、夕方になる前に止んだ。夕方のフローニンゲンの空に、灰色の雨雲の塊が筋状に広がっている。

同時に、雲ひとつない青空がその筋の向こう側に広がっている。その極端なコントラストが、冒頭の語群に表現されるような対極性を私に感じさせた。

窓の外に見える木々が、強い風によって左右に揺られている。木々の揺れる姿はまるで、ラテン系の激しいダンスのようであった。

先ほど私は、論文アドバイザーのサスキア・クネン教授とのミーティングを終え、自宅に戻っている最中に、「知識の実装化」について考えていた。相も変わらず、日々これだけ多くの専門書や論文に触れながらも、それが自分の内側になかなか定着していないのはなぜなのかについて考えていた。

知識の定着には、私たちが思っている以上に時間がかかるのは知っている。しかし、私が確信を得たいのは、そのプロセスが確かに私の内側で進行しているかどうかだ。

結局のところ、知識というのは、それが自分の内面生活を豊かにすることや、社会における具体的な問題に対して活用されることにつながらなければ、何の意味も持たない。そして、最近自覚的になり始めているのは、私の内面生活を豊かにすることが先行するのではなく、社会における具体的な課題に取り組むために知識を活用することが先行するということである。

つまり、私という一人の人間の内面生活が真に豊かなものになるための前提条件として、社会に対する関与があるということだ。そこからさらに思うのは、社会における具体的な課題の解決に向けて知識を活用するということを常に念頭に置かなければ、知識が自分の内側に一切入ってこないということである。

もちろん、知識を表面的に取り入れるのであれば、漠然と知識と向き合っていても問題はないが、知識というものを自分の血肉とし、そのように獲得された知識を持って社会に関与するためには、常に自らが置かれている社会の存在を念頭において知識と向き合わなければならない。

これは何も、「実用的な知識」を獲得することについて言っているのではない。知識全般に当てはまることである。私は決して、表層的な知識で肥大化した者にはなりたくはない。

自分の存在の奥深くにまで知識の根を下ろし、そこから強靭な思考を持って社会に関与できるような人間になることを強く望む。今の私の思考が極めて脆弱なのは、これまでの私の知識に対する態度と社会に対する態度に原因があるだろう。

結果として、知識の土台が薄弱になり、骨太の思考をすることができないでいるのだ。そのようなことをつぶやきながら、ノーダープラントソン公園を歩いていた。

公園を抜け出る頃、私に求められているのは、やはり書くことだと思った。。それは、毎日自分が触れている膨大な学術的知識を実装化させるために不可欠である。

知識の実装化というのは、知識を自らの存在の根まで下ろし、それが社会の問題に適用可能な次元に至らしめることである。その時その時において、自分が書き留めておかなければならにことを絶えず書き留めていく。

そして、ある程度のまとまりを持つ知識を精緻な論理と共に一つの主題に沿う形で表現していく時には、必ず論文として執筆したいと思う。知識を血肉化し、実装化するためには、何よりも文章を書かなければならない。

今のところ、それ以外に最良の方法は見当たらず、それ以外に最良の方法はないだろう。2017/6/6

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