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1135.「認知的資本主義」の進展に伴うMOOCが抱える問題


この五年間、私はオンラインで成人発達理論に関するゼミナールを細々と提供してきた。また、日本国外に長らく居住地があるという都合上、企業組織に対してトレーニングを提供する際にも、オンラインを用いることが多かった。

日本と接点を持つための手段として、オンラインを活用することは避けることができず、こうした経験が、私の関心をオンライン教育へと向けて行ったのは必然であった。実際に、フローニンゲン大学での一年目の研究課題は、オンラインを活用した成人教育だった。

また、二年目の研究課題はMOOC(大規模オープンオンラインコース)に関するものだ。これらの研究は、発達理論や学習理論を中核に据え、ダイナミックシステムアプローチや非線形ダイナミクスの手法をデータ解析に適用するものである。

つまり、私が現在行っている研究は、オンライン教育を科学的な観点から探究するというものである。そうした科学的な歩みを前に進めれば進めるほど、哲学的な観点で自らの研究を捉えようとする衝動が日増しに強くなる。

今朝は、MOOCに関する大変刺激的な論文を読んだ。その論文は、MOOCを批判的に検証しながら、MOOCに対して「自律的マルクス主義」という政治理論を持つものが現れ始めていることが紹介されていた。

とりわけ、「認知的資本主義」と呼ばれる概念が私の関心を強く引いた。認知的資本主義の一部の側面は、教育というものが資本主義の論理に絡めとられることによって、金銭の獲得に奔走するのみならず、MOOCの受講を通じて得られる大学の承認(単位や資格)を得ることに奔走するようなあり方に現れ始めている。

問題はそうした認知的資本主義の信奉者個人のあり方にとどまらない。金銭獲得を第一に掲げる金融資本主義の論理である「競争」という概念を教育に適用することによって、MOOCが理想として掲げる「教育の平等化」とは程遠い状況が生まれてしまう危機が迫っているように思う。

その論文を読むと、すでにそうした危機が顕在化していることがわかった。具体的には、地方の大学や名の知れない大学は、教授を雇う費用を削減するために、実際の教授がクラスで行っていた講座を名門大学が提供するMOOCの講座に置き換えるような動きを見せている。

例えば、サンノゼ州立大学の哲学科は、これまで提供していた「社会正義(social justice)」に関する講座を、ハーバード大学の人気教授マイケル・サンデルがMOOCで提供する講座に置き換えたそうだ。確かに、その処置が全くもって理解できないというのではない。

大学側にとってみれば、低コストのMOOCを活用することによって、教授を雇う費用が削減できる。また、生徒側にとってみても、新米教授ではなく、名門大学の教授の講座を受講できることは魅力的だろう。

しかし、私はある点において大きな違和感を覚えていた。それは、教育の平等化という名目のもと、名門大学で提供されている教育を希薄化し、それを大量生産することによって教育の不平等化を助長するように思えたことだ。

一部の名門大学に在籍する者たちは、生身の教授の存在感を感じながら、リアルな教室空間で学びを得ることができる一方で、そうした名門大学にアクセスすることができない者は、そこで提供されている講座の録画を、生身の教授とは隔絶された場所で有り難がって視聴する構図が見て取れる。

仮に認知的資本主義が今後拡大を見せれば、そうした二極化の溝は開くばかりだろう。名門大学に通える者たちだけが実際の教授と学習空間を共にし、密度の高い学びを享受することができる一方で、そうした名門大学に通えない者たちは、実際の教授と学習空間を共にできないばかりではなく、希薄化され、大量生産された学びを流し込まれることになるのではないか、ということに対して違和感と危機意識を持っていた。

もちろん、バーチャルリアリティーに関する技術の進展によって、物理的な空間と精神的な空間との距離が無くなってきているのは確かかもしれないが、物理的な学習空間を共にすることの意義は依然として大きいように思う。

仮に、二つの空間の差異が全く無くなったとしても、資本主義の理論が持ち込まれた大量生産的な教育には、また別の問題がつきまとっているように思える。教育の世界で主張される「多様性」とは逆に、資本主義の理論は教育の世界に「画一性」をもたらす気がしてならない。

例えば、「社会正義」を学びたいと思う世界中にいる人々が皆一様に、サンデルの講義を視聴する姿を想像してみるとどうだろうか。これはあまりにも不気味な光景である。

なぜなら、それは教育内容が画一化され、それによって私たちの発想そのものが画一化されてしまう恐れがあるからである。MOOCを取り巻く思想的・社会的な問題を考えていると、その他にも乗り越えていかなければいけない無数の問題があることに気づく。

また、上記で書き留めていた内容は、社会経済的な構造の観点や科学技術の観点からより掘り下げていかなければならない。上記は、論文を読みながら立ち止まらざるをえなかったことを書き残したまでである。

自分自身の過去の教育を振り返ってみると、私は人気のある器用な教師よりも、人気のない不器用な教師から多くのことを学ばせてもらったように思う。名門大学の人気教授だけから学びを得るような日が到来することは、やはり私にとって、とても薄気味悪いように思え、そこで私たちは一体何を学ぶのだろうかという思いがある。

MOOCが教育の世界にもたらす恩恵は計り知れないが、同時に潜在的・顕在的な問題も山積みになっていることを認識しておく必要があるだろう。2017/6/4

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