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1118. 言葉を超えたその先


埴谷雄高著『死霊』が届いてからの私は、自分の心と向き合わざるをえなかった。書籍が届けられた時、分厚い封筒から中身を取り出すことをせず、私はソファの一角にこの書籍を置いた。

あえてその書籍を見ないようにするかのように、私は複雑性科学と教育哲学を架橋させることを試みた “Complexity Theory and The Philosophy of Education (2008)”という専門書を開いた。

そして、昨日からの続きを読み始めた。二章ほど読み終えたところ、再びソファに目をやると、当たり前だが、封筒に包まれたままの『死霊』がそこにあった。

これから心理統計学に関する論文を二つ読み、井筒俊彦先生の全集の続きを読もうと思っていたが、居てもたっても居られなくなり、中身を熟読しないことを誓いながら封を開けた。

すると中から、息をのむほどの美しい装丁を伴った分厚い書籍が姿を現した。それは分量としても、中身としても、ウィルバーのSES、エマーソンの全集、プラトンの全集、スピノザの全集と同等のものだと即座に理解した。

姿を現した『死霊』の中身を恐る恐る開いた後、気づけば二時間弱の時間が経っていた。本来であれば、夏の休暇を利用して読み始めるつもりであった本書を今日から少しずつ読むことにした。 埴谷氏が本書の中で追いかけた一つの主題とそれから派生する副主題のどれもが、私を捉えて離さないものと類似しているがゆえに、私はこの小説を手に取ることになったのだと思う。作品の中身に入る前に、全集に付されている小冊子をくまなく読み、その後、埴谷氏が執筆した序文を読み始めた。

埴谷氏は、自らの思想を結晶化させる一語を求めて、50年にわたって本作の執筆を続けた。その一語に極限まで近づき、結局それを掴み損ねた時、まとまった言葉になりえぬものを表現する際に漏れる感嘆詞「あっは(ach)」と「ぷふい!(pfui)」が異様な響きを伴って私の内側に流れ込む。

正確には、「あっは」という感嘆詞は私の内側と共鳴するようなものであるのに対し、「ぷふい!」という感嘆詞は依然として私の内側にとって未知のものであるようだ。気づかない間に、私はこの作品の奥深くに入り込んでいた。

その証拠に、封筒を開けた食卓から一歩も離れることができず、この小説を読み耽っていた。二時間ばかりの時間が過ぎ、私は我に返った。

この作品が我が国始まって以来の形而上小説と呼ばれるゆえんの一端をすでに覗き込んだような気がした。また、人間の観念の奥の奥には、今の私では知りえぬ世界があるのだということにも気づいた。

フローニンゲン大学での一年目が佳境を迎え、最後の慌ただしい時期に入っているため、焦ることなくこの作品と向き合っていきたいと思う。2017/5/30

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