1117. 人間の残虐性と正義心について:埴谷雄高著『死霊』の到着


日本のアマゾンを通して注文した、埴谷雄高氏の主著『死霊』が6月2日までに届くということが注文時の情報に記載されていた。

今日、私は大学からのキャンパスの帰路、その書籍がなぜだか今日届くような気がしてならなかった。いつもの通り、ノーダープラントソン公園を通って自宅に戻ろうとしていると、公園の池のほとりに無数の鳥が群がっている姿が見えた。

水際にたたずむ無数の鳥を眺めていると、池の向こう側から一羽のアヒルが何かから逃げるようにしてこちら側に向かってきた。そのアヒルのすぐ後ろを見ると、種類の異なるアヒルが三羽ほどそのアヒルを追いかけていることがわかった。

追いかけられていたアヒルは全身が白色の毛で覆われており、そのアヒルを追いかけていた三羽のアヒルは、全身が黒色の毛で覆われており、頭部は緑色をしていた。最初私は、種類の異なるアヒルが戯れているのだろうと思った。

だが、その場に足を止めて観察を始めてみると、様相がまるっきり異なることに気づいた。三羽のアヒルは、白いアヒルの背中をくちばしで激しく突き始めたのだ。

中には白いアヒルの首元をくちばしで激しく突いているものものいた。集団暴行がその場で行われているにもかかわらず、他のアヒルたちは全く知らぬ顔で水際にたたずんでいた。

攻撃されているアヒル、攻撃をしているアヒル、そして傍観する無数のアヒルの姿は、私たち人間の姿と何ら変わることがなく、その様相は人間社会の縮図のように思えた。白いアヒルが何とか逃げようと地面を走り始めたが、追いかける黒いアヒルの方が足が速く、再度背中をくちばしで突かれた白いアヒルはその場に倒れた。

倒れた姿を見るや否や、三羽の黒いアヒルが一気呵成に白いアヒルの全身をくちばしで突き始めた。その姿を見たとき、自然界に自らの手を加えることをためらっていた私も我慢ができなくなった。

すぐさまその場に駆け寄り、三匹の黒いアヒルを追い払った。幸いにも白いアヒルに怪我はないようであり、その白いアヒルはすぐさま池の対岸に向けて飛び立った。

すると、三匹の黒いアヒルがまたしても白いアヒルの後を追いかけるように飛び立った。私にできることはもう他に何もなかった。 池を後にした私は、歩きながら、たった今目撃した光景とその時の自分の内側の感情について思いを巡らせていた。それは自分の内側に確かに存在する残虐性と正義心であった。

この相容れない二つの感情が、あの光景を目撃していた時の私の内側で偽ることができないぐらいに鮮明に立ち現れていた。それに気づいた時、私は自分自身に対して少しばかり怖くなった。

あの光景を眺めていた時、私は間違いなく、あの三匹の黒いアヒルをはるかに凌ぐほどの残虐性を持ち合わせていた。一人の人間の心の奥底には、ある種の戦慄をもたらすような残虐性が存在しているのだと思わざるをえなかった。

昨日とは打って変わり、今日は鬱蒼とした雲が空を覆っている。動物的な残虐性以上に破壊的な人間の残虐性について、私は歩きながら引き続き思いを巡らせていた。

たった一つ、そこに光が差し込めたのは、あの時に自分が取った行動だった。あの行動の拠り所はなんだったのだろうか。

それは「倫理」と称することができるような、あるいは「正義」と称することができるようなものだったと思いたい。動物同士の争いに人間の手を加えるか否かを逡巡し、あれこれと思惟を働かせることが全くもって馬鹿げており、全くもって無意味なことだと思った。

そこで大切なのは、動物界においても適用されうるであろう倫理的判断、あるいは正義心に則った行動だったように思う。 そのようなことを考えていると自宅に到着した。入り口のドアを開け、螺旋階段を上って自分の部屋に戻った瞬間に、妙な胸騒ぎがした。

「今日がその日だ」とわかった。私は幼少の頃から音に敏感であり、ちょっとした音に対しても驚いてしまう。

今もその傾向は変わっておらず、そのため、私は家の呼び鈴がならないように、その電源を絶えず切断している。しかし、今日は自分宛に荷物が届くような予感がしていた。

まさに、『死霊』が届くことを予感していたのだ。呼び鈴が鳴るように設定し直し、昼食を摂り終えて専門書を読み始めてしばらくすると、呼び鈴が突然鳴った。

届けられたのは、埴谷雄高著『死霊』だった。2017/5/30

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