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1108. 精神空間に張り巡らされる無尽蔵の根


うようよとした無尽蔵の根が、自分の精神空間の深部に張り巡らされていくようなイメージが見えた。そして、そうした無限の根そのものが自己の本源を示すイメージなのだということに気づいた。

私たちは毎日、様々なことを考えることを通じて無数のイメージを知覚している。そもそも、思考するというのは何かをイメージすることに他ならないため、絶えず私たちはイメージの世界の中にいると言えるかもしれない。

昨夜の就寝前に、イメージの世界とそうでないものの区別を明確にしようと思ったが、その区別は極めて曖昧であり、もはや区別など存在しないのかもしれないと思った。それよりもむしろ、思考するということが何かをイメージすることに他ならないのであれば、自分が認識する世界は全てイメージの世界だという観念論にも似た極端な発想が浮かび上がってきた。

いずれにせよ、私たちの内側で絶えずイメージが湧き上がり、それが無数の根のような形となって精神空間の深部に張り巡らされていく様子に私は驚いていた。精神の地下に、現在進行形で張り巡らされていく根っこの一つ一つを辿っていくと、どのようなことがわかるのだろうか?

そのような問いが私の中で立ち上がった。フランスの哲学者ガストン・バシュラールは、「私たちは観念世界に帰属しているよりはるかに強くイメージ世界に帰属しており、イメージ世界のほうがはるかに私たちの存在を構成しているのである」と述べている。

この言葉を思い出した時、先ほどの私は思考を司る観念世界とイメージを司るイメージ世界を混同しているようだった。私が述べたかったのは、バシュラールの指摘するようなイメージ世界の存在であり、そうしたイメージ世界の中に無尽蔵の根が現在進行形で張り巡らされていくような姿を指摘したかった。

まさに日々の活動の中で多様なイメージが常に生起しており、それを文字の形として残しておくことへの興味から、私は毎日日記を書いているだと思う。植物が成長する姿を毎日毎日眺めるかのごとく、自分の精神空間の地下に張り巡らされていく根の様子を毎日毎日観察していくのである。

同時に、過去の記憶や夢をきっかけとして、過去の出来事を通じて張り巡らされていた既存の根や無意識の層にある根を観察することも行なっていきたい、あるいはもはやそれを行わなければ精神生活を送っていくことができない、という状況に今の私は置かれているようなのだ。

それゆえに、過去・現在・未来や潜在意識・顕在意識といった区別にかかわらず、とにかく自分の内側に存在する根っこが一体どういったものであり、それがどのようなつながりを見せ、また今後どのようにつながっていくのかをただただ観察したいのだ。そのようなことをふと思わされた。 これから一冊の専門書を少しばかり読み進めたいと思う。少しばかり上記の話題に影響を受け、今後少しずつある実験的な試みをしたいと思う。

専門書や論文を読み返してみると、自分にとって重要な箇所に下線が引かれていたり、書き込みがなされていることをよく見かける。仮に、そうした自分にとって重要な箇所を三つから五つほど無作為に選び、それらを組み合わせる形で一つの文章に仕立てていくとどのようなことが起こるのだろうか?という関心が湧いてきた。

人間の持つ連想力は不思議な力を持っており、全く無関係に思える事柄でもそれらを結びつけるような働きをする。そうした連想力を活用して、無作為に選んだ文章からまた一つ新しい根を育んでいくような試みをしてみたいとふと思った。

理想的には、同一の論文や専門書ではなく、論文や専門書すらも無作為に複数選び、そこから自分にとって重要な文章をいくつか抽出し、それらを組み合わせて何か文書を書くことをしてみたい。これまで気づかなかったが、これは学術論文や書籍を執筆する際に、これまで私が無意識的に行っていたことのように思えた。

これからは、それを意識的に試みてみたいと思う。2017/5/28

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