1106. 菌の死守


白く、黄色い一筋の稲妻が地上に落ちるのを知覚して今朝は目覚めた。早朝、落雷がフローニンゲンの街を襲い、突発的な雨が降った。

時間としてはとても短かったが、それは私の印象に強く残っている。私は太陽の光によって目覚めるようにしているため、いつも寝室のカーテンは開いたままである。

そのため、今朝の未明に襲った稲妻の色彩が、目を閉じていても知覚されたのであった。実は、今朝はその前にもう一度だけ目が覚めることがあった。

昨夜の夢の中で、自分が攻撃性を人に発揮するシーンがあり、それによって目覚めた。少なくともひと月に一度の頻度でこうした攻撃性に関する夢を見ているように思う。

こうした夢は否定的に受け取ってしまいがちであるが、自分の中にある攻撃性は、創造活動を支える重要なエネルギー源であることに気づく。これは誰だったか忘れたが、ピカソだったか、ダリだったか、いずれにせよ偉大な芸術家のある人物が、「精神分析を受けることによって、自分の攻撃性や抑圧した感情が治癒されてしまうと、創造活動が枯渇してしまう」と指摘し、精神分析を極度に避けたという話を聞いたことがある。

それはとても納得のいく話だと最近よく思う。往々にして、自らが内在的に持つ攻撃衝動(破壊衝動)や抑圧した感情というのは強烈なエネルギーを内に秘めている。

偉大な芸術家は、そうしたエネルギーをもとに創造的な活動に従事していることが多いように思う。これは芸術家のみならず、研究者等を含め、自分の内側にあるものを外側に形として表現することを求められる人たちにも当てはまることだと思う。

「精神を治癒する」というのは聞こえはいいが、手当たり次第に治癒を施せばいいというものでは全くない。菌は菌でも、善玉菌が私たちの体内にあるのと同じように、そして、それらを取り除いてしまっては身体が機能不全に陥ってしまうのと同じように、私たちの精神内に存在する菌を無配慮に除去するというのは問題がある。

昨夜の夢を思い出しながら、私は、自分の精神内に存在する菌を今後も守り抜きたいと思っていた。 今日は午前中に、修士論文の最終ドラフトの確認を行いたい。先日、一度全てに目を通したのだが、今日はもう一度全ての文章に目を通し、追加・修正があればそれを施しておきたい。

それが完成すれば、明日の昼に、論文アドバイザーのサスキア・クネン教授にドラフトを提出する。修士論文のドラフトが完成したら、午後からは、「タレントアセスメント」のコースで課せられている論文に取り組みたい。

こちらもすでにドラフトができあがっており、数日間ほど寝かせておいた。十分に寝かせたという感覚が私の中にあるため、最初から最後まで再び読み返すのは今日が最適だと思う。

データ結果を掲載した表や細かな文言を含め、丹念に読み返す作業をしたい。こうした論文執筆がひと段落したら、残りの時間は、複雑性科学と教育哲学を架橋した専門書 “Complexity Theory and The Philosophy of Education (2008)”と、複雑性科学と発達科学に関する思想的研究を行っているデイヴィッド・ウィザリントンの論文を何本か読み進めたい。

今日は、早朝の稲妻による起床から始まり、文章を書いて読むことによって終わる、爽やかな春の日曜日になるだろう。2017/5/28

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