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1100. 外発的動機との向き合い方


今日は、雲ひとつない青空が続く天気の良い一日であった。そうした天気の恵まれた金曜日の午前中、まずは、複雑性科学と教育哲学を架橋することを試みた興味深い専門書の二つの章を読み進めた。

私の関心は、やはり人間発達に中心があり、現在はそれを取り囲むように複雑性科学や教育哲学に広がっている。とりわけ、午前中に取り掛かっていた専門書 “Complexity Theory and The Philosophy of Education (2008)”は、複雑性科学と教育哲学の両方のテーマを扱っているため、私の関心と完全に合致するものであった。

このところ、人間発達の中核に教育があり、教育は経済的な枠組みや社会思想と切っても切り離せないものであるとつくづく思う。人間発達にとりわけ強い関心を持つことは、そのまま教育に関心を向かわせ、教育に関心を持つことは、経済的な枠組みと社会思想へと関心を向かわせる。

そうしたことを背景に、今の私の関心は、人間発達をコンパスの中心点とし、そこから探究の円を様々な関心事項と繋がるようにする形で描いているのだと思う。その専門書に掲載されている二つの論文を読み終えた後、私は「タレントアセスメント」のコースで課題となっている論文の二読目を開始させた。

本日中に目を通しておきたい論文は七本ほどあり、午前中にそれら全てを読むことはできなかった。論文の主張と発見事項をまずは的確に掴み、それらの主張と発見事項を支えている重要な文章をワードにまとめながら読み進めていた。

もちろん、心理統計を含め、能力測定の専門的な理論や方法論を学ぶことは私にとって有意義なのだが、それら以上に強く読書欲を刺激するいくつかの論文と専門書が書斎の机の右隅に積み重ねられているのを見ると、ついついそちらに手を伸ばしたくなる自分がいる。

そして、そうした衝動を我慢しながら今取り組んでいる論文に目を通すと、何となくそこで展開されている言語空間にうまく没入することができなくなってしまう。体系的に構築された何らかのコースに沿って探究を深めていくことは、もちろん有意義な学びをもたらすが、自ら探究過程そのものを構築していくような、自分の内発的な動機だけに基づいた読書は私にとって極めて重要な意味を持つ。

現在、フローニンゲンでの最終学期の佳境に差し掛かっていることもあり、どうしても外発的な動機が混入する読書をせざるをえないのは致し方ない。それらを内発的な動機に限りなく近づけようと試みるが、そうした試みをする時点で、純粋な内発的動機とは程遠いものになってしまう。

以前、「創造性と組織のイノベーション」のコースを履修した際に読んだ論文の中で、外発的な動機が必ずしも探究に害悪をもたらすものではないことが指摘されていた。そうしたことからも、今後自分の中で外発的な動機とどのように付き合っていくのかという指針を自ら作りたいと思う。2017/5/26

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