1099. 作曲への取り組みについて


ここ数日間、奇妙なほどに夢を見ていない。おそらく、この数日間にあっても夢を見ていたのだと思うのだが、記憶に残るような夢を見ていないのは確かだ。

そのような状態を見ると、ある意味、不気味な静けさが無意識の世界を覆っているように私には思える。間違いなく、私の無意識の世界では四六時中何かが進行しているのがわかる。

記憶に残る夢が現れるのかどうかというのは、そうした潜在的なものが発現するか否かというだけの問題であり、絶えず自分の内側で何かが動き続けていることに変わりはないだろう。夢についてこうしたことを書き留めていると、今夜は何か印象的な夢を見そうな予感がしている。 昨夜は少しばかり作曲の学習と実践を進めていた。以前に作ったファンファーレの一節がとても気に入っており、そこだけ何度も繰り返して聞いていた。

日記を読み返すことによって、自分の言葉から自分が励ましを得るのと同様に、自分が作った曲から自分が励ましを得るというのも不思議なことだと思った。私たちが真に自己を深めるためには、健全な自己批判のみならず、自己への励ましも同時に必要となることを物語っているかのようであった。

文章を書くということと曲を作ることの双方が、同じぐらいの重要性を持ち、同時に、同じぐらいの歓喜を私にもたらしてくれることに気づき始めている。そのような思いを持ちながらも、昨日は一点ほど反省することがあった。

それは自分の浅薄さを批判するものである。昨日、作曲に関するテキストを読み進めていた時に、いつになったら自分は内側の思想や感覚を曲の形に表現することができるのだろうか、という焦りにも似た感情を持っていた。

こうした焦りは、確かに作曲にさらに打ち込むための潤滑油になりうるが、得てして、そうした焦りが自分に対する失望感につながりやすいことが問題である。私が思い出さなければならなかったのは、作曲に対する自分への失望感からそもそもスタートさせたという事実であった。

作曲を始めた時の私の音楽知識と経験は本当にまっさらなものであった。そうした自分に対して失望感を抱きながら、それでも失望感に代わるような気持ちを持って作曲を始めたことを思い出さなければならなかった。

手元にあるベートーヴェンが残した楽譜を見たとき、それと自分の曲との距離を嘆いてはならないと思った。また、短い時間単位で自分の作曲の進展を捉えてはならないのだと思った。

少なくとも五年後、十年後を見据えて今の取り組みと向き合わなければならない。あるいはもっと先の自分を見据えながら、作曲に少しずつ取り組んでいくことが大切だ。

毎日、一時間弱でも良いので、作曲の学習と実践を積み重ねっていたその先に、目に見えるほどの何かが現れてくればそれでいいのだ。仕事と同様に、作曲も、短い時間単位でそれを捉えてはならないし、長大な時間をかけて取り組むことが何よりも大事なのだと思う。2017/5/26

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)