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1095. 「自分の夏」


早朝の目覚めと共に、寝室の窓の外から景色を眺めると、朝もやがかかっていた。その様子を見ると、「あぁ、冬の時代が完全に終わった」と思った。

北欧に近いオランダ北部の気候的な特徴からか、冬の時期にはそのような朝もやはほとんど見られない。そうしたもやが早朝に見られるのは、春から夏にかけてのことである。

朝もやを眺めたところで朝の仕事に取りかかった。午前中の仕事は相当にはかどるものだった。

ついに修士論文のドラフトが完成し、あと数回ほど自分で読み返したあとに、月曜日中に論文アドバイザーのサスキア・クネン教授にドラフトを送ろうと思う。先日の日記で書き留めていたように、とにかく納得のいく終止符を打つことによって、この論文を次の論文への橋渡しとしたい。

自己規律と自己批判の精神を絶えず持ち、文章を書き続けるという修練をより徹底させていきたい。これはいつも述べていることと同じであるが、自己に課す規律も批判も依然として生半可なところが多分にあり、文章を書くということについても、その質を議論する前段階に今の自分は位置しており、文章を書く量が圧倒的に足りていないことに気づかされる。

自らの知識と経験を真に血肉化させる最良の方法は、他者に教えることだと思うが、書くことは自分に教えることに他ならないだろう。他者に何かを教える前に、私は、自分の知識と経験を徹頭徹尾、自分に教えなければならない。

書くということは、まさに精神的な自己調教に他らならないのだ。 午前中に論文の修正を終えた私は、コーヒーを片手に書斎の窓際におもむろに近寄り、外の景色を眺めていた。早朝の朝もはやどこかに消え去っていた。

そこに広がっていたのは、澄み渡る青空だった。広大な空にかかる無数の飛行機雲を見た。

それらは本来、一つの地点から他の地点に向かって水平方向に形作られているはずだが、私の目には、それらの飛行機雲が地上に降り注いでいるように錯覚された。

天上から垂れ下がる無数の飛行機雲は、何かを祝福するような白い紙吹雪のようであった。飛行機雲をそのように知覚した私の感情は高鳴っていた。

意識も身体も高揚するような感覚が確かに内側にあった。目の前の空を旋回する鳥の群れたちも、きっと今の私と同じような気持ちであるに違いないと思った。

旋回する鳥たちを見ていると、自転車の後ろに小さな子供を乗せた父親が懸命に自転車を漕いでいる姿が目に入った。その親子も旋回する鳥も、等しく自らの生活を形作っているのだと実感した。

こうした一つ一つの尊い生活は何としてでも守られなければならないものである。自転車に乗った親子が私の視界から消えていく際に、私は最後に街路樹の広告看板を眺めた。

「あぁ、また看板が変わっている」と思わずつぶやいた。この広告看板は、定期的に中身が変わるのだが、今まで一度もそれを張り替えるところを見たことがない。

その瞬間、私たちの社会は、目には見えないところでなされる無数の仕事によって成り立っているということを改めて思わずにはいられなかった。人間の成長が、私たちの目には見えないところで静かに育まれていくのと同じように、私たちの社会の中には、目には見えないところで進められている仕事が無数にあるのだと気づかされる。

誰からも見えないところで、絶えず自分にできる小さな仕事をひたすらに継続させていきたい、と思いを新たにした。今日は午後から気温がぐんぐんと上がるようだ。

これからやってくるフローニンゲンの夏は、朝夕はとても涼しい。いずれにせよ、夏という季節がやってくることは間違いない。

私の内側は夏への準備がすでにできている。いやむしろ、私は「自分の夏」を常に内側に持っているのだ。2017/5/25

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