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1090. 偶然の内側


薄黄色の太陽光が寝室に降り注ぐ。今日は五時半に起床し、早朝から素晴らしい空を拝むことができた。

曇りがちの冬の時代を抜け出し、フローニンゲンも晴天の日がこれから続くようだ。今週一週間は雨の日はないということが、天気予報から分かっている。

私は日々の何気ない天気から、人間の内面に関して色々なことを考えさせられる。あの長く鬱蒼とした厳しい冬の時代は、私が深く深く自分の内側に潜っていくために不可欠であった。

同時に、今私が謳歌している春の季節は、内側から外側に向かって何かを育んでいくために必要な活力を私に与えてくれる。起床直後にヨギティーを作ると、そのタグに「永遠なる太陽光は砂漠を生み出す」という言葉が記載されていた。

光と影の問題は非常に厄介だ。太陽が常に当てられた大地が枯渇してしまうのと同様に、私たちの内側も、絶えず光を当てられると何か重要なものが枯渇してしまうように思えた。

枯渇してしまうものの代表は、私たち自身の内側の闇かもしれない。最近、闇の中でしか育まれないものについて思いを巡らせることがある。

実際に、自然界においても、深海や深い闇で覆われた環境でしか生存できない生物種がいる。そうした生物種の存在を思うとき、私たちの内側の闇の中でしか生存できない存在がいるような気がしてならない。

光によって闇を排除しようとするとき、そうした存在が抹消されてしまうことを念頭に置いておかなければならない。闇に呑まれることなく、そして闇を排斥するのでもなく、闇の中でしか育まれないものを絶えず育んでいくことも一つの真理に思われた。 早朝、まずはカントの “Critique of Pure Reason (1781)”を手書きで書き写していた。これは毎日の習慣の一つである。

決められた分量を書き写したところで手を止めようとした時、文末に記されていた日付に私の目が向かった。見ると、昨年の今日、私は全く同じ箇所を読んでいたことがわかったのだ。

今日と全く同じ日である「5/24」に、昨年の私はカントのこの書籍を読んでいたことがわかった。この偶然がもたらした感情的な余韻の中に私はしばらくいた。

書斎から外の木々を眺めると、それは不動の姿でそこにたたずんでいた。昨日の午後、それらの木々は、夕方の春風によって優しく揺れていた。

新緑の葉に黄色の光が当たり、葉の揺れは小川の流れのようにきらめいていた。その印象が私の内側に未だ強く残っている。

そのような光景を昨日に目の当たりにしたことも、今朝のカントの書籍の一件と同様に偶然の産物なのだろうか。今の自分が偶然と呼ぶものの内側には、偶然という言葉では片付けられないものが眠っていることをすでに知っている。2017/5/24

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