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1079. 教育への関与を示唆する夢


起床直後、部屋の窓を開けて新鮮な空気を取り入れた。五月も半ばを過ぎ、ようやく早朝の寒さも無くなったため、朝起きてすぐに窓を開けれるようになった。

窓を開ける時、東の空から太陽が昇るのが見えた。じんわりと明るい色を発する朝日を見ていると、今日という一日がまたゆっくりと始まることを実感する。

何種類かの小鳥たちが、それぞれ異なる鳴き声を発している。その声が早朝の清澄な空気に染み入るように広がっていく。

私は、早朝の太陽を拝み、朝日に向かってまっすぐに伸びていくような高らかな小鳥の鳴き声を聞きながら、一日を開始する覚悟を持った。 昨夜は夢の中で、私は学校の教室で生徒として授業を受けていた。私の夢は、教育に関するものが多いことに気づく。

昨日見た夢の中には、幼少期の頃にお世話になっていた先生や当時の友人たちが現れていた。そうした夢とは異なり、成人教育に関係するような夢を見ることもある。

夢の状況設定を分類してみると、教育に関する夢は頻繁に現れる。それを考えてみると、子供の教育や成人の教育に関心のある私の傾向と夢の傾向は足並みを揃えている。

もう一歩踏み込んで考えてみると、顕在意識にせよ、無意識にせよ、なぜ教育というテーマが私にとって重要なのかという問題に突き当たる。今の私は、こうした根源的な関心は、自己の根幹と密接に関わったものであるとしか言いようがない。

そして、このような主題こそが、自分の人生をかけて取り組んでいくべきものなのだと思う。 昨夜の夢では、一人の友人が、先生からの質問に窮している場面に出くわした。先生からの質問は、それほど難解なものではなかったが、その友人は質問に答えることができないでいた。

先生からさらに別の質問が何個かその友人に投げかけられたが、状況は同じだった。先生は少しばかり呆れた表情をしており、一方、その友人は首をかしげていた。

友人が首をかしげる様子を見たとき、彼の心中は、「なぜ自分はそのような質問に答えられないのだろうか?」という自己憐憫によって引き起こされた行動のように思えた。

同時に、その友人の姿をじっと見ていた私は、「質問に答えられないことを機にする必要は一切ない。なぜなら、その質問が発せられた領域は、君の特性が発揮される場所ではないからだ。君が生きる場所はもっと別のところにある」というようなことを考えていた。

私は、その友人の個性が発揮される場所はもっと別のところにあることを知っており、それを見抜けない先生に対して若干残念な気持ちになり、また、持って生まれた才能に気付けていない友人にも残念な気持ちになった。

教師が生徒の才能に気付けず、生徒も自分の才能に気付けていないという構図がそこにあった。夢の中の私はそうした構図を読み取りながらも、先生に対しても、その友人に対しても何の言葉かけもしなかった。

夢から覚めてみて、私は、夢の中の自分に対して残念に思った。それは、行動力のなさであり、自分の気づきを現実世界の具体的な行動として具現化させなかったことに対するものである。

それは残念な気持ちというよりも、夢の中の自分に対する憤りのような感情であった。夢に現れたことがらに対する気づきを、現実世界の中で行動として具現化させていくことの重要性を改めて感じさせるような夢であった。

自分の中で教育への関心が高まるということは、それに伴って、教育への関与を高めていくことが必要なのだと痛感させられる。教育への関与という実践が、まさに午前中からの仕事に反映されていなければならない。2017/5/18

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