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1076. 春風が薫る頃に思うあの冬


春風が薫るような一日だった。昨日と同様に、今日も春の暖かさと穏やかさを象徴するような日であった。

午前中に修士論文の全体の体裁を整えていく作業を始めた。論文の “Abstract”を執筆し、 “Introduction”から順番に文章を修正していく作業をいよいよ開始させた。

“Introduction”は随分と前に書き上げていたものであり、本日改めて読み返してみると、その後の文章の展開から考えると修正しなければならない箇所が散見された。そうした箇所を削除したり、新たな言葉を与えていくことは、建築的な営み以外の何物でもなかった。

40ページにわたる全体のうち、7ページほどの手直しを加えたところで手を止めた。明日から四日間にわたって、フローニンゲン大学が主宰するアイデンティティの発達に関する国際会議に出席する。

今回は発表者ではなく、会議の運営を支える者としてこの会議に参加する。この四日間に運動をする時間的な余裕がとれないであろうことを考慮し、今日は昼食前にランニングに出かけた。

曇り空の先日に走った時と比べ、今日の私の足取りはとても快調であった。走ることは、私の身体と精神の調整に不可欠であり、身体と精神のリズムとでも言うべき新たな調性を生み出すために重要である。

午後から再び仕事に取り組み、夕方から読書に耽っていた。私は、春の到来を喜ぶのと同時に、喜びの背後に存在する別の感情に気づいていた。

春が近づくということは、あの得体の知れない、自己を押し潰すような異常な孤独さをもたらす欧州の冬が近づくことを意味していた。欧州で経験した初めての冬、筆舌に尽くしがたいほどの孤独さに苛まれることが何度かあった。

このような経験は米国で生活をしていた頃にはあまり味わったことがなかった。ましてや、日本で生活をしているときなどには味わいようのないような孤独さであった。

昨年はドイツ、フランス、スイスに訪れ、今年はオーストリアに訪れた。それらの地域には、私の関心を引くような場所が多々あったのは事実だが、結局、それらのどの国で生活をしようと、オランダで経験した孤独さと同じものと向き合わざるをえないことを知った。

欧州のどこで生活をしようが、自己を根底から震撼させるようなあの孤独さを経験することは間違い無いだろう。今の私はまだ、それらの孤独さがとりわけ欧州での生活において感じられる理由や要因を明確な言葉にすることができない。

明確なことは、それは今年の冬にまたやってくるということだ。また、自分の内面がさらに成熟を迎えた随分と先になって初めて、その孤独さの理由と要因を知ることになるということも明確だ。2017/5/17

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