1046. 千変万化する身体状態から


人間の身体は非常に不思議である。いつも私は起床した瞬間に、その日の身体状態の初期値を意識的に把握するようなことをしている。

これは一つの習慣である。起床直後、どのような質と量の身体エネルギーが自分の内側にあるのかを確認し、朝の習慣的な実践に入るというのが一日の流れである。

今日は正直なところ、身体エネルギーの質と量ともに、あまり好ましいものではなかった。実際には、若干淀んだ重苦しいエネルギーが私の身体の内側に流れていた。

そのような状態であっても、午前中には論文アドバイザーのサスキア・クネン先生とのミーティングがあったため、否が応でも外出をしなければならなかった。自宅の外に一歩踏み出してみると、少しばかり自分の身体エネルギーの質と量が変化したことに気づいた。

そして、キャンパスに向かって歩けば歩くほどに、身体エネルギーの状態は肯定的な方向に推移していったのである。五月も第二週目に入ろうとしているのに、朝夕は相変わらずマフラーを巻いている。

しかし、その寒さは凍てつくようなものではなく、とても心地の良いものに感じる。近所の運河を架ける橋を渡ったとき、私はこの土地であと二年間ほど生活をすることになるのだ、ということに改めて思いを巡らせていた。

運河の岸に結び付けられた船を眺めながら、「私もこの土地に結び付けられたのだ」ということを思った。これはとても肯定的な意味においてである。

運河を眺め、そこに停泊する船を眺め、フローニンゲンの空を眺めると、この土地にもうしばらく残れることに対して、とても有り難い気持ちになった。キャンパスに到着する直前に通過するノーダープラントソン公園も、まさに私を常に支えてくれる存在だ。

この一年間、文字どおり、雨の日も風の日も、晴れの日も雪の日も、私はこの公園を歩いてきた。そうした足取りは、もはやこの公園内には残っていない。

しかし、その足取りが自分の内面世界の中に確かに刻まれているということが、とても尊いことに感じた。これからさらに二年間、私はこの公園を歩き続けるだろう。

それがどのような一日であろうと、どのような足取りであろうと関係なく、私の内側にそれらは確かに刻まれていくのだ。天気が優れない一日もあるだろう。足取りが重たい一日もあるだろう。

どのような一日であっても、どのような足取りであっても、私は歩くことを止めはしない。私にできる唯一のことは、歩き続けることなのだ。

それが自分の人生を生きることであり、この世界の中で生きることなのだ。 公園を抜ける頃には、私の身体状態は好転していた。私たちの身体は、まさにダイナミックシステムに他ならない。

初期値がどのような値を取るかが、ダイナミックシステムの挙動を決定づけるのだが、今日の自分の身体状態を観察してみると、初期値からシステム全体の挙動を予測することは極めて難しいことがわかる。

いい意味で私は自分の予測を裏切られたのだ。今朝の優れない身体状態が、数時間以内にこのように好転するのを目撃すると、やはり私自身が常に外部環境と絶えずフィードバックを行い、それが私の身体状態に大きく左右していたのである。

そして、言うまでもなく、私の身体状態を好転させてくれたのが、フローニンゲンの環境だった。私はあと二年間ほどこの土地に留まり、二年後には別の国に行くことになることを予感している。

その予感が訪れた時、この街を離れることが物寂しく感じた。しかし、そうした思いを抱えながら、歩き続けることが生きることなのだと思う。2017/5/9

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