1020. 発達理論と音楽で繋がる縁


私は頻繁に、何か意味があるに違いないというような偶然性と必然性を多分に含んだ出来事に遭遇する。今日もそうだった。

一つには、午後に書き留めていた日記の中にあるように、一冊の書籍と出会ったことである。60年前に出版された書籍が自分の目の前に大切なものとして現れた偶然性。名前の知らない誰かが、ボストンのハーバードスクウェアで購入した書籍が、自分の手元に届けられたという偶然性に私は驚いていた。

夕方にもう一つ大きな偶然性と遭遇した。それは、私が長らく師事していたオットー・ラスキー博士からメールが届いたことである。私が米国で過ごしていた四年間のうち、ちょうど真ん中の二年間は特に、ラスキー博士に大変お世話になっていた。

ラスキー博士がこれまで習得してきた発達理論の体系をできる限り学びたいという思いで、ある時期は隔週でラスキー博士と話すほど、集中的に彼の発達理論と発達思想の体系を汲み取ろうとしていた。今でも私の良き師の一人であるラスキー博士からメールが先ほど届いたのだ。

これが大きな偶然だと思ったのは、実は先ほど私は、大学の図書館に行き、明日のクラスで必要な発表資料を印刷するだけではなく、ラスキー博士が書き残した論文をプリントアウトしていたのである。私がプリントアウトしたのは、ラスキー博士が執筆した発達理論に関する論文ではなく、彼が執筆した認知音楽学に関する論文であった。

以前どこかで紹介したことがあるかもしれないが、ラスキー博士は非常に多才な人間である。1960年代に『啓蒙の弁証法』で有名なテオドール・アドルノとマックス・ホルクハイマーに師事しながら、ラスキー博士は哲学の博士号を取得している。

アドルノは哲学者としての顔を持つだけではなく、音楽にも造詣が深く、実際に作曲や音楽評論なども手掛けていたことで知られる。ラスキー博士は幼少の頃からピアノを習っており、フランクフルト大学時代にアドルノに師事していた際にも、アドルノから哲学の手ほどきを受けるだけではなく、音楽学(musicology)に関する手ほどきも受けている。

その後、ラスキー博士はアメリカに渡り、カーネギーメロン大学などで人工知能の研究に従事する傍ら、テクノロジーを活用した作曲活動を続け、「認知音楽学」という領域を打ち立てた。

ラスキー博士が数多くの領域にわたって活動を行っていたことを列挙すれば切りがないが、数十年前は米国や欧州各地で音楽の演奏会を頻繁に開き、一時期は経営戦略コンサルティングファームの雄であるアーサー・D・リトルで経営コンサルタントとして働き、60歳を過ぎてから臨床心理学に関する二つ目の博士号を取得し、現在は発達理論を教えることのみならず、詩と絵画の創作に従事している。

日本では、ラスキー博士の名前はほとんど知られていないだろうし、仮に知られていても発達論者としての顔だけだろう。しかし実際には、発達理論の専門書や論文以上に、ラスキー博士は認知音楽学に関して膨大な量の論文を残している。

これまで私は、音楽について真剣に探究を深めようと思ったことはなく、ラスキー博士が音楽に関して大量の論文を過去に執筆していたことを知りながらも、それらを読むことは一切なかった。だが、私が作曲を始めることを決意した時に、ふとラスキー博士のことが脳裏に浮かび、いくつか興味深い論文を見つけていたのだ。

それを本日印刷し、その数時間後にラスキー博士から連絡があった。私は、自分が作曲活動を開始したことと今日の偶然の出来事をラスキー博士に伝えた。

ラスキー博士は、私が作曲を始めたことを驚きの感情とともに喜んでくださり、「音楽に留まり続けること」を勧められた。ラスキー博士との縁は私にとってかけがえのないものであり、それは発達理論と音楽で繋がっているのだと思わずにはいられなかった。2017/5/1

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