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1016. 夢の中での投影について


昨夜も夢を見たのだが、それについて書き留める前に、夢の持続時間について気になったことがある。私が夢を見ている時間というのは非常に短い。

これは他の人にも当てはまることなのだろうか。あるいは、夢を見ている時間が短いというよりも、実は夢は長い時間現れているのだが、それらを覚えていないだけなのだろうか。

いずれにせよ、いつも自分が記憶に留めておける夢というのは、時間として短く、それも目覚める直前に現れることが多い。昨夜の夢も起床直前に見たものだった。

夢の中で私は、学校の教室にいた。教室の右側の一番後ろの席に座り、哲学の授業を受けていた。黒板に書かれた三行ほどの文章に対して、教師から生徒に質問が投げかけられ、ディスカッションが始まった。

ディスカッションの途中で、私の列の最前列に座る友人から教師にとても鋭い質問が投げかけられた。その質問に対し、教師の表情はこわばり、即座に回答できないようであった。

非常に鋭いその質問に対して回答できないことを知った教師は、その質問を生徒全員に質問するという行動に出た。私は、友人が最初にその質問を投げかけた時から、それは実に面白い質問だと思っており、同時に、それに対する自分なりの考えがあったため、挙手をすることなく、右列の最後尾から私は自分の意見を述べ始めた。

問いが難解なものであったため、自分の思考が混沌に陥ることを避けながら、それでいて一気呵成に質問に対する回答を述べた。自分の中では分かりやすいように説明したつもりだったのだが、私の説明を教師も含め、ほとんどの生徒が理解できていないことを教室内の雰囲気から感じ取った。

短い沈黙の後、自分の説明が冗長だったのかもしれないという考えが一瞬脳裏をよぎったが、その質問をした友人だけが笑顔と共に納得の表情を浮かべていた。その姿を見て私は安心し、私も笑顔になった。

そのような夢を昨夜見た。改めてこの夢を振り返ってみると、夢の中の自分は覚醒状態の自分と似たような性質を持っていることに気づく。

あるいは、夢の中の自分も間違いなく私であり、それが無意識の領域で現れる自分であるがゆえに、覚醒状態の自分よりもさらに本質的な自己を表していると述べていいのかもしれない。

いずれにせよ、最も大きな共通点は、回答に窮するような質問であればあるほど、それを面白いと思う自分の思考特性だった。正直なところ、夢の中の私は、そうした問いに対して表情をこわばらせた教師の気持ちを理解することができなかったのを覚えている。

おそらく教師の気持ちの中に、生徒の質問に全て答えなければならないという旧態依然とした教師像のようなものがあったのだろう。同時に、教室内の他の生徒に関しても、教師とはすべての質問に答えてくれる人間である、という発想を根強く持っているような気がした。

それに対して、私が座っていた列の最前列にいた友人だけが、そうした発想を教師に対して抱いていないことが直感的にわかった。夢の中に現れる人間が持つ無意識的な側面をどのように解釈したら良いのかわからないのだが、夢の中にいた教師と多くの生徒が持っていた旧態依然とした発想を、もしかしたら夢の中の自分も含め、顕在意識の自分も少なからず同様のものを持っているかのように思われた。

つまり、顕在意識の私は、そうした旧態依然とした発想を嫌悪する傾向にあり、それが私のシャドーを形成し、そのシャドーを夢の中の教師や多くの生徒の中に投影していたのだ、という構図が見て取れる。夢の中の教室では、教師も生徒も日本人であったため、なおさらそうした旧態依然とした発想が色濃く浮かび上がっていた。

そうした発想を斬り捨てるかのように、私は友人の質問に対して、挙手することもなく一気呵成に自分の見解を述べ始めたようにも思える。教師と生徒の関係性に対する私のシャドー以外にも、その他のシャドーもこの夢の中に現れていることに気づいたが、それらをここで書くことはできない。 最後に、友人が投げかけた問いの内容を思い出せないことは少し残念だ。夢の中の私が非常に面白いと思っていたため、それはきっと顕在意識の私にとっても面白い問いだと思うのだ。

何か循環的な側面を持つ問いであり、その循環の中にいては決して回答することができないのだが、その循環から離れ、一つ上の視点からその循環構造を眺めれば一瞬にして回答できるというような問いだったように思う。

この問いに関しても、夢の中の友人が発したものなのだが、夢の中の人間が私の無意識の投影から生まれたものであるならば、やはりその問いは私が発したことになるのだろうか。その点についても関心を持ち続けたいと思う。2017/5/1

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