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1005. 円周率の不思議と円の中の縁


早朝、一杯の水を飲み、いつものように身体を動かすことから一日を始めた。ここ最近は、モーツァルトの交響曲を聴きながら身体を動かしている。

その際に、書斎の外を眺めるのではなく、壁にかかったニッサン・インゲル先生の二つの絵画作品を眺めながら身体を動かすことが毎朝の儀式的な実践となっている。インゲル先生が、私の主題と構想をもとに制作してくださった作品を年始に日本からオランダに持ち帰り、今では一日の中で、早朝のみならず折を見てこの作品を眺めている。

その作品は、地球を陰陽の円と見立て、陽の部分にバッハの音楽世界を、陰の部分にベートーヴェンの音楽世界を、地球の外側の宇宙にモーツァルトの音楽世界を表現してもらったものだ。今朝、この作品を眺めていると、これまで見えてこなかった意味に気付いた。

より正確には、この絵画に対して新たな意味を付け加えることができた、と言った方がいいだろう。地球を表現した円を眺めていた時、円周率が持つ不思議さに捕まった。

この世界のありとあらゆる事柄を数字にした際に、それらの全てが、円周率を構成する無限の数字の中に織り込まれていることに対して神妙な気持ちになった。昨日書き留めた日記や今日の日記、そして明日の日記を数字に変換した際に、それらの数列が必ず円周率の中に含まれていることが不思議でならなかった。

自分の過去・現在・未来が、一つの円の中にある、いや一つの円の円周であることが、途轍もないことを意味しているように思えたのだ。以前の日記の中で、私と地球を等しく重要な点としてみなすことについて書き留めていたように思う。

私たちの存在は、点でありながら円でもあるのだ。そして、人生において私たちの一つ一つの行動や生み出す意味は、絶えずその円の円周上にあるのだ。 インゲル先生の絵画を眺めながら、そのようなことを考えていた。それはハッとさせられる気づきであった。

円というシンボルが、私にとってこれまで以上に大切なものとなった。円の中に縁があり、その縁が円周としての日々の意味や活動を絶えず生み出しているように思えて仕方なかった。2017/4/29

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