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991. 音楽言語を生み出したくて


数日前に、ベートーヴェンのピアノソナタが持つ思想的な意味を解説した専門書がないかあれこれと調べていたところ、いくつか私の関心を強く引くものがあって嬉しくなった。

嬉しさの感情を持った理由は、それらの楽曲が持つ構成的な意味に加え、思想的な意味をより探究したいという思いが日増しに強くなっていたからだ。小さな趣味の一つとして作曲を始めようと思い立った時、やはり偉大な作曲家が残した作品と真剣に向き合うことが不可欠であるように思われた。

音楽知識が皆無の私は、何から手をつけたらいいのか迷ったが、複数の作曲家を追いかけるのではなく、まずは一人の作曲家に絞り、その人物が残した作品を研究していくことが最善であるように思われた。

もちろん、私の目的はある作曲家に関する専門家になることでは決してない。純粋に音楽が作りたいのだ。

学術論文、書籍、日記という媒体で用いられる自然言語で表現しきれないものが、自分の中でうごめいていることをこれ以上静観していられない。そうしたものを外側に表現するための手段を音楽言語に求め、それが私にとって作曲とい形式だった。

そうであるがゆえに、私は一人の作曲家の専門家になるような態度でその人物の作品に向き合うようであってはならない。その人物が作品に込めた思想をできる限り深い地点で捉えられるように努めること、そしてそうした思想が音楽という形でどのように表現されたのかに関する方法を徹底的に学ぶことは必須なことであるのと同時に、それが目的なのではない。

そうした探究活動に並行して、絶えず自分の手で曲を作ってみることが大事なのだ。ザルツブルグから戻ってきた週末に、インターネットの世界で得られる情報だけを頼りに、早速曲を一つ作ってみた。

数時間かけて数十秒ほどの曲らしきものが生まれた。だが、それは曲と呼ぶにはあまりにお粗末なものであった。同時に、その数時間を作曲活動と呼ぶことも妥当ではないと思った。

仮に作曲が文章を執筆する行為に喩えられるのであれば、私が行っていたのは、アルファベットを知らない者が、無作為にアルファベットを並べ、それがかろうじて何らかの意味を成すような形にすることでしかなかった。

そこには、私が表現したいと思う思想や感覚を形にする余裕など一切なかったのだ。自分が表現したいと思う内側のものを外側に形にするためには、形式というものが必要になると改めて思った。

それは文章で言えば文法に該当するだろう。文法ばかりを学び、実際に文章を執筆しないことは本末転倒であるが、最低限の文法を学ぶことは、文章の執筆において不可欠であるのと同様に、それは作曲という表現活動においても当てはまるのだ。

私は少しずつ、楽曲を生み出すための文法を学んでいきたい。仮に、文章が主語・動詞・目的語の順番に並ぶということがわかったら、その瞬間にその文法知識を活用して一小節でもいいので曲の形にしたい。

最初は、 “I have a pen.”のような英文を構築したのと同じようなレベルで一小節を作ることになるだろう。昨日、ノーダープラントソン公園を歩いている時、聞こえてくる小鳥の鳴き声に思わず耳を澄ませた。

その時に私が内側に感じていたことを曲にできたらどれほど至福だろうかと思わずにはいられなかった。同時に、 “I have a pen.”から “I am a pen.”という誤った英文を特殊な意味をもたせて意図的に作り上げるのと同様に、特殊な意味を音の形に込めることができたらどれほど楽しいだろうかと思った。

私は、とことんまでに意味を生成することにこだわりたいと思う。人間が作り出す意味は、変容的な作用や治癒的な作用という重要な機能を超えて、もっと大切な何かがそこにあるはずなのだ。

その意味を掴むために、自然言語と音楽言語の双方を通じて、絶えず意味という存在そのものとそれが私たちに与える働きかけを探究したいと思う。2017/4/26

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