987. 拡散と収束


昨日は、随分と音楽関係の書籍に目を通していた。日頃意識的に設けている就寝一時間前の休息を取ることなく、結局いつもの就寝時間を数十分超える時間まで音楽関係の書籍を読んでいた。

そうした書籍を読むことを通じて、偉大な作曲家を過度に神聖視するのではなく、様々な観点を獲得することによって、対象への没入から対象からの脱却を試みる、ということを昨日の日記に書き留めていたように思う。

今後は、彼らに影響を与えたイタリアの作曲家や名前の知られていない作曲家の音楽にも積極的に触れていきたいと思う。そうした経験とそこから得られる知識が、偉大な作曲家の作品と彼らの存在自身をさらに深く理解することを可能にするのだと思う。

そして、それは自分自身を深く理解することにつながるだろう。まるで複雑に織り込まれた網目を次から次へと辿っていくかのように、一つの書物から他の書物へ自分を導いていくことはよくあると思う。

昨日の読書体験から、ベートーヴェンに多大な影響を与えた詩人のフリードリヒ・シラーについて関心を持つようになった。シラーの詩は実際に、ベートーヴェンが最後に作った交響曲第9番の第4楽章に用いられている。

シラーが美的経験と美的教育について記した書籍 “On the Aesthetic Education of Man (1794)”を読んでみることにした。同時に、シラーが美的経験について思想を展開した背景を調べていると、カント美学からの多大な影響があることを知った。

カントが特に美的経験について思想を構築している “Critique of Judgment (1790)”を書斎の本棚から取り出し、しばらく眺めていた。もう一度、カントの書籍を読む必要があることを悟った。

また、シラーの詩のみならず、ベートーヴェンはインド哲学の代表的な書物であるバガヴァッド・ギーターにも感化されていたようだ。サンフランシスコ時代に私がヨガに打ち込んでいる時、この書と出会っていた。

しかし、当時はその概要をなどるような読み方しかしていなかった。だが、この哲学書と今後じっくりと向かう日が必ず来るだろう、という確信を得た。 言論の自由が許されていなかった当時において、ベートーヴェンは自らの内側の声を音楽として積極的に表現し、それを万民のためのものに普遍化しようとする姿勢に対して、昨夜は改めて激しく打たれるものがあった。宮廷や貴族など、上流階級からの依頼によって楽曲を作ることを止め、自らの意思で自らが表現すべきものを絶えず表現し続けた姿勢には大いに感化された。 最後に、ベートーヴェンが残した主要な作品の背景をゆっくりと追いかけていると、ベートーヴェンがしばらく大きな作品を書けなくなった時期があることを知った。その時、ロンドンのピアノ会社から大型のピアノが贈呈され、ベートーヴェンは新時代を代表するこのピアノが持つ力を最大限に引き出すことを決意し、当時のピアノでは弾けないような難解な曲ピアノソナタ第29番『ハンマークラヴィーア』を作り上げた。

この作品を作った時、ベートーヴェンは「今から50年後の人間であれば必ず弾けるはずだ」という言葉を残していたそうだ。このエピソードを知り、私は、同時代の課題に向き合いながらも、次の世代に何かを託していくような仕事をする重要性を噛み締めた。

今日からまた気持ちを新たにして、自分の仕事に打ち込んでいきたいと思う。2017/4/26

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