976. 初めての作曲体験を通じて


今日は、久しぶりに日曜日らしい過ごし方をした。学術論文や専門書をほとんど読まない日曜日などこれまであっただろうか。

今日は午後から、5時間ほど作曲活動に没頭していた。過去に一度挫折をしているだけに、今回は曲を作ることをまずは純粋に楽しみながら作曲に取り組みたいと思う。

音楽的な知識が皆無であり、ウェブサイトの情報だけを頼りに、作曲ソフトを活用してなんとか30秒ほどのピアノ曲を一曲作ってみた。5時間の時間の中であれこれ調べ物をしていたとはいえ、午後から夕食までの時間を使っても、結局30秒ほどの曲を作ることで精一杯であった。

「曲」という呼び方をしたが、おそらくこれは曲と言えるような代物ではないだろう。自然言語でいう文法に該当するであろう音楽理論のない私が作った音の総体は、曲と呼べるのか定かではない。

なんとか不快に聞こえない程度の曲ができたに過ぎない。だが、とにかく一曲作ってみることによって、様々な学びがあった。

当初の私が作りたいとイメージしていた曲は、壮麗な流れを持つものだったが、結局、陰鬱な雰囲気を漂わせる曲ができあがった。ただし、興味深かったのは、作曲を作るプロセスと文章を作るプロセスが酷似していることだった。

具体的には、最初の音やメロディーが生まれ始めると、それは最後のあるべき形に向かって自発的に動き始めるのだ。今回私が作ったものには主題などという大層なものはないのだが、仮にそうした主題のようなものがあれば、それは然るべき展開手順を終えって曲の最後に向かうはずだ、ということが何となくわかった。

さらに、作曲をしている最中の感覚を書き留めておくと、この音がきたら次の音はこのように動かざるをえないというような感覚が絶えずあり、それはある程度の幅を持つ時もあれば、次の音は一つしかないというような時もあった。

幅の範囲内で音を探したり、次の音が一つしかありえない場合はその音を探すようなことが続いた。範囲から少しでも逸脱したり、次の音が一つしかありえないはずなのにそれとは違う音を楽譜に打ち込むと、実際に奏でられる音が非常に不快なものに聞こえるのだ。これは興味深いことであった。 とにかく音をパズルのように組み合わせながら、少しずつを曲を形にしていった。そのような作業を5時間ほど続けたところで、入浴をすることにした。

すると、頭の中が自然言語が一切介入しないような音楽言語だけの世界になっていることに気づいたのだ。これも今まで経験したことのないような体験であった。

文字通り、頭の中が音楽で満たされるような感覚なのだ。この感覚を自然言語における体験に置き換えると、それは外国語を習い始めた時、その言語に長時間浸った後の状態と形容していいかもしれない。

その時には母国語が混入する隙間はなく、思考の一切がその外国語で満たされる感覚だ。作曲を通じて、そのような体験を音楽言語ですることになるとは思ってもみなかった。 音楽言語を外側から学ぶのではなく、実際に音楽言語を活用し、音楽言語の中に入り込むということを通して、自然言語に対してまた新たな洞察を得られるような気がしている。今の私が行っていることは、作曲と呼べるような代物ではなく、発話文法を知らずに文字を適当に並べ、なんとか文章の体裁をなすように文字を組み合わせていることに過ぎない。

英語やオランダ語を習い始めた頃と同様に、最低限の文法のようなものを学んでいく必要があるだろう。もしくは、母国語を習得した時のように、文法のような規則を頭を通じて学ぶのではなく、身体を通じて自然と学ぶ方が良いのかもしれない。

今はとにかく、実際に曲を作るという実践を通じて、自分なりに作曲の法則性を掴む試みに重点を置き、その合間合間に少しずつ最低限の音楽知識を学ぶようにしている。現在、シンガポール国立大学が提供する、作曲に関するMOOCを受講しているのだが、そこで用いられている英語が果たして英語なのかと思われるぐらい、音楽用語だけで構成されている。

また別の新しい言語を学んでいるという意識でこの講座を少しずつ進めていきたいと思う。繰り返しになるが、まずは実際に曲を作っていくという実践を最優先にし、自分の内側にあるものを曲として外側に表現していくことを純粋に楽しむことを心掛けたい。2017/4/23

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