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973. 音楽との向き合い方について


今日は早朝から、モーツァルトのピアノソナタを聴くことにした。モーツァルトが残したピアノソナタは全部で18曲あり、時間にして6時間半に及ぶ。

一昨日から昨日にかけて、ベートーヴェンのピアノソナタのみを延々と聴いていたためか、もしくは、今朝の感情と感覚の性質からか、今朝に限って言えば、ベートーヴェンのピアノソナタを選択することはなかった。

昨日、マウリツィオ・ポリーニとアルフレッド・ブレンデルが演奏した曲を長時間にわたって聴いていた。二人の異なるピアニストが演奏するベートーヴェンのピアノソナタを聴いていながらも、私が単純に仕事の伴奏としてそれらを聴いていたためだろうか、両者の違いを明確に掴むことが未だにできていない。

対象に集中し、真剣に演奏を聴くということがなければ何も見えてこないのだ、ということを改めて知る。ただし、対象と真剣に向き合うためのヒントのような現象と昨日出会うことができた。

それは、確かに10時間に及ぶピアノソナタを聴き流していながらも、時折、聴き流すことでは済まされないような演奏があったことだ。つまり、時に私の仕事を手を無条件に止め、その曲に引き込まれてしまうような演奏があったということである。

私がその曲自体に引き込まれたのか、そのピアニストの演奏に引き込まれたのかの違いによって、その曲が持つ力とその演奏が持つ力が明らかになると思ったのだ。昨日において、思わず手を止めずにはいられなかったのは、ポリーニが演奏するピアノソナタ第17番だったように思う。

特に、同曲の第2楽章だったと記憶している。ポリーニにせよ、ブレンデルにせよ、私が聞いていたのは音楽配信サイトから流れるCDに収録された演奏である。

本来演奏とは、人間と同じダイナミックシステムであり、様々な要因との相互作用によって、常にその姿を変えるものである。しかし、CDの演奏曲から聴こえてくる音は、それが録音された時の演奏者のダイナミックな感情や感覚が織り込まれているのは確かだが、それらがCDに収録された時点でそれは不変なものになる。

変化するのは、私たち聴き手の感情や感覚である。そうしたこともあり、その日、その瞬間に自分を捉えてやまない演奏は変化する。それは必然だろう。

おそらく私がするべきことは、その日、その瞬間に自分を掴んで離さない演奏と真剣に向き合うことにあるのだと思う。そうしたことをしなければ、その曲や演奏が私にもたらす意味を掴めないどころか、結局自分という存在がわからないままになってしまうだろう。

今日はそのことに意識を向け、思わず仕事の手を止めざるをえない力を持つ曲や演奏と出会うことができたら、迷うことなく仕事の手を休め、その曲に聴き入りたいと思う。

対象に深く没入し、そこから再び浮上するという繰り返しが持つ重要性は、音楽との向かい方においても変わることがない。2017/4/23

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