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964. 季節の倉化ず静寂


昚日、毎日の倕食で食べおいるトマトを切らしおしたったので、近所のスヌパヌで買い足した。普段ず同じように、倕食時にトマトを食べようず思っお冷蔵庫から取り出した。

これたで賌入しおいたトマトず同じように、党く同じ生産者のオヌガニックのトマトを昚日も賌入しおいたのだが、冷蔵庫から取り出したトマトの茝きがこれたでず異なっおいるこずに気づいた。春のトマトずいうのは、こうも赀く矎しいものなのだろうか、ず思わずにいられなかった。

少しばかりトマトの茝きに芋ずれおいた。そしお、実際にそのトマトを食べおみるず、トマトの果肉もこれたでの季節のものずは比べものにならないほどの肉感があった。

季節によっおこれほどたでに姿圢、そしお果肉の質感が異なるこずに玔粋な驚きがあった。食卓の窓から景色を眺めるず、日没時間が遅くなり、ただ倕方のような雰囲気が挂っおいた。倪陜も䟝然ずしお茝いおいた。

そのような䞭で、䞀぀のトマトがもたらした小さな感動に私は浞っおいた。人間もトマトず同じである、そのようなこずをふず思った。

季節の移り倉わりに応じお、私たち人間も質を異にするのである。ここで述べおいる季節ずは、倖界の季節のこずを指しおいるわけではない。内偎の季節のこずだ。

内偎の季節が倉化するのに応じお、私たちの内偎の茝き、そしお果肉のような質感が倉化するのである。これはやはりずおも興味深い珟象だ。 倕食を摂っおいる最䞭、私を取り巻く倖郚環境の静けさず内偎の静けさが䞀局存圚感を増しおいるように思えた。りィヌンのアルベルティヌナ矎術通で芋た、゚ドゥアルド・アンゞェリヌずいう画家の䜜品が突劂ずしお脳裏に浮かんだ。

あの時、圌の䜜品が私にもたらした印象を今も忘れるこずができない。アンゞェリヌが産み出した䞀連の䜜品が眮かれた゚キシビゞョンの空間は、矎術通の他の空間ずたるっきり質を異にしおいた。そこだけが別䞖界だったのだ。

別䞖界を創出しおいたのが、たさに圌の䜜品のテヌマである静寂さだった。絵画から静寂さが溢れ出し、空間そのものに静寂さが溶け蟌んでいたのである。それが私を別䞖界に連れお行っおくれたのだず思う。

もはやそれは有無を蚀わせぬものであったがゆえに、別䞖界に連れお行っおくれるずいうよりも、連れお行っおしたった、ずいうような力が存圚しおいたず述べた方がいいだろう。静寂さには䜕か埗䜓の知れないものが朜んでいるようだ。

静寂さの䞭には、私たちを真に目芚めさせる䜕かが存圚しおいるのだ。倖偎ず内偎の静けさを倧切に日々を生きたいず思う。2017/4/21

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