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936. 肯定・承認・共感


ウィーンとザルツブルグを訪れることによって、自分の生き方が揺るがないものになったことは予期せぬ出来事であった。欧州に渡る前、そして渡欧後のしばらくは、自分の生き方を絶えず批判するような自己を隣に置き、批判の極致まで自分の生き方を検証するようなことを強いられていた。

それは、私から見ても痛々しいものであったことに間違い無いが、そうした批判なくしては、自らの確固とした生き方を打ち立てることができない状況にあったと言える。ウィーンとザルツブルグでは、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、フロイトなどの偉大な創造者たちの記念館や博物館を訪れた。

それらの場所を訪れることを通して、様々な気づきや発見が得られたのは間違いない。そうした気づきや発見の中で、最もシンプルであり、なおかつ最も大きなものは、「それでいいのだ」というメッセージをそれらの偉大な創造者たちから受け取ったことだった。

それは、何かを創造することに関して私が辿っているプロセスに対する肯定であり、私の生き方そのものに対する肯定であった。こうした肯定は、私の心臓の芯に触れ、新たな心臓を再び動かし始めてくれるような感覚を引き起こした。

旅の途中で、全ての迷いが払拭され、雲が晴れるような感覚ではなく、雲の上の世界に足を踏み入れるような感覚があったことを日記に書き留めていたように思う。これからの私の人生の中で、迷うことはたくさんあるだろう。

しかしながら、創造することに関して、そして、生き方に関しての迷いをもはや超越したような感覚が旅の途中で得られたのだ。ゆえに、一時的な曇りや晴に右往左往するのではなく、そもそも雲を生み出す場所さえも超越してしまったという感覚は、とても真っ当なものに思える。 オーストリアへの旅に出かける前に、この世界で生きていくのは確かに難しいが、それよりも難しいのは、この世界とどのような関係を結びながら生きていくかということだ、という意味のメモをノートに残していた。

仮に、この世界が創造の波に支えられたものであるならば、私がこの世界とどのような関係を持ちながら生きるかという問題に関しても、もはや解決されたような気がしている。旅の途中で出会った偉大な創造者たちからの伝言に基づき、自分も創造の波の中で何かを絶えず生み出すことに寄与し続けるという関係をこの世界と結ぼうと思ったのだ。

それを思ったというよりも、もはやそれをしなければ生きることのできない淵に立たされたような感覚が私を捉えた。そして、それを何の迷いもなく受け入れることによって、淵が消え、新たな道ができた。

その道の先には何も見えないが、確信だけがその道の上に横たわっている。ウィーンとザルツブルグの旅を通じて得られたのは、観光名所を訪れたことによって獲得された知見でも体験でもなく、生きることに関する揺るぎのない確信であった。

形のないものに形を与え続けること、創造を待つものをこの世界に顕現させ続けること、私はこの人生でそれしかできない。そうした生き方を根本から承認し、共感してくれたのが、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、フロイトたちであった。2017/4/13

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