928. つぼみから花へ:早朝の静かな誓い


オーストリアからフローニンゲンに戻ってきてから一夜が明けた。昨夜就寝前に、自分の寝室で眠ることの安心感を改めて感じた。

ウィーンにせよザルツブルグにせよ、ホテルがあった場所は街の中であったため、周りの環境が完全なる静寂に包まれていたかというとそうではない。一方、就寝前に自宅の寝室で横になった時、現在の住居を取り巻くあまりの静寂さに驚かされ、そして、有り難さを感じた。

このような静けさの中、毎晩しばらくの時間、仰向けになって自分の心身を整えるようなことを行っている。昨夜改めて気づいたのは、この儀式的な行いがまさに観想的な意識に私を誘うということであった。

旅行中は、朝から予定が入っていたため、早く起きる必要性を無意識が感じ取っていたのか、未明に何度か目覚めることが多かった。だが、昨日はもはやそのようなことはなく、非常に深い睡眠を取ることができた。

目覚めてからの行動は、オーストリアへ旅をする前のものと全く変わりのない習慣的なものだった。毎朝の習慣的な実践をしたところで、書斎の窓から外を眺めた。

すると、一週間前にはまだつぼみであった木に、真っ白い花が咲いていた。一階の庭に植えられた木に咲く白い花を見下ろしていると、少しばかり感慨深いものがあった。

四月も二週目に入ろうとしているにもかかわらず、フローニンゲンは相変わらず寒く、昨夜駅に到着した時、冬用のジャケットとマフラー、そして手袋が必須であるほどに寒かった。寒さが依然として続く環境の中で、この一週間の間にその木に白い花が咲いていたことは、小さいながらも深い喜びを私にもたらした。

木に咲く白い花々が、朝の冷たい風に小さく揺られている。その様子を眺めながら、オーストリアへの一週間の旅を経て、自分の内側にある何らかのつぼみも開花したように感じた。

目の前に咲く白い花を認識するのとは違い、肉体の眼を通して内側の花を見ようとしていては何も見えてこない。だが、心の眼を通じてそれを見ようとすれば、間違いなく自分の内側で新たな花が咲いたことを知ることができる。

人間の発達には確かに長大な時間がかかる。だが、発達の瞬間は常に非連続的であり、一瞬のうちにやってくる。

オーストリアへの旅行を経て、自分の内側で何かが静かに決壊したようなのだ。もはや私は、内側のものを外側に形として創造することに何らためらう必要はない。

創造の流れをせき止めてはいけない。流れ出てくるものを妨害することなく、それらに命を吹き込むこと。

命を吹き込むのは、自分の言葉であることを忘れてはならない。静かに沸き立つような感情に包まれながら、そのような誓いを立てずにはいられない朝だった。2017/4/11

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