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927.【ザルツブルグ訪問記】開かれた眼を通じて生きること


ウィーン国際空港からアムステルダム国際空港に無事に戻って来た。アムステルダムに到着してすぐに気づいたが、ウィーンに比べて幾分か気温が低い。

季節は四月を迎えているが、オランダでは春の暖かさとともに、朝夕はとても冷え込む日が続いているようだ。アムステルダムに到着した瞬間に、絵も言わぬ安堵の思いが湧き上がってきた。

それは自分の街に戻って来たという感覚であり、同時に、これから再び自分の仕事に打ち込むことができるという安堵感であった。読み続け、書き続け、感じ続け、考え続ける日々の中に再び身を委ねたい。

ウィーンやザルツブルグでの滞在を通じて得られた、言葉を麻痺させてしまうような体験の渦から私は再び戻って来た。対象から一度離れることは、対象のさらに奥に入り込むことを可能にする。

オーストリアに行くまでの生活の中で、没入しているものが仮にあったのであれば、私はそれらから離れたことによって、これまでとは比べものにならないほどそれらの深くに入り込めそうな気がしているのだ。

旅というのは本当に不思議な営みである。これまでの拠点から新たな場所に移動をすることによって、過去の拠点が新たなものになっているのだ。

これは心の眼を通じて旅というものを眺めてみると明らかである。ウィーンとザルツブルグに滞在中、私が書き綴っていた日記のいくつかは、もしかすると肉体の眼を通じて見えたことだけが記述されているに過ぎないかもしれない。

オーストリアに滞在中の日々の中で、私は心の眼が閉じられていたのかもしれないと思われた。しかし、それは少しばかり解釈を誤っていることに今となれば気づくことができる。

私の心の眼は決して閉じられてなどいなかったのだ。それとは全く逆に、心の眼が全開であったことに気づく。

これまで開けることのなかった心の眼の一部が、全て開いたのだ。その結果、私は、この世界が心の眼に開示する豊穣な意味に圧倒されていたのだと思う。

私はここから再び、新たな眼で世界を見ることができるような気がしている。同時に、新たな眼を通じて得られたことをこの世界に還元するための新たな関与を行えるような気がするのだ。

肉体の眼だけを通じて世界を眺めないこと。肉体の眼だけを通じて得られたことを文章の形にしないことが大切だ。

心の眼を通じて世界を眺め、そこで得られたことを文章の形にしていくのだ。これは心の眼を通じて世界を眺めていた過去の偉大な人物の書物を読むときでも同じだ。

心の眼を開いて世界を感得していた人間の文章は、決して肉体の眼だけを通じて読んではならない。心の眼を通じてそれらを読まなければならないのだ。 アムステルダムからフローニンゲンに向かう列車の窓から見える景色は、果てしなく平坦だった。この平坦な景色の中に、自分や他者の起伏に富んだ人生が見えなければならない。

刻一刻と変化する列車の揺れの差異に気づき、自分や他者の内面世界の起伏を掴まなければならない。果てしなく平坦な世界を揺れながら歩き続けると、終着駅に到着し、そこから再び歩き始めることができるのだ。

列車が間もなくフローニンゲン駅に到着する。ここから私は再び歩き始めたいのだ。2017/4/10

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