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910.【ウィーン訪問記】モーツァルトの魂が宿る肉筆から


ウィーンに到着し、真っ先にドームガッセ5番地にあるモーツァルト記念館に向かった。モーツァルト記念館は、シューベルト記念館やベートーヴェン記念館に比べ、閉館する時間が遅いため、空港からウィーンの街に着いたその足でこの記念館に訪れる時間的な余裕があった。

しかし、実際にウィーンの街に到着してみると、その街並みを眺めることに意識が向かっており、さらには、幾分道に迷ってしまったため、モーツァルト記念館に到着するのが予想よりも遅れてしまった。閉館までに二時間ほどの時間しかなく、受付で二時間でも十分に見て回れるかどうかを確認した。

受付の方曰く、オーディオガイドのプログラムも全部で一時間ほどであり、それよりもゆっくり見て回ったとしても、二時間あれば十分だ、ということであった。そのため、私は迷わずチケットを購入し、モーツァルトが1784年から1787年にかけて暮らしたこの場所に足を踏み入れた。

ここはモーツァルトが最も多産な時期に生活拠点としていた場所だ。また、二つの地下の階を含めると、全部で七階にも及ぶ住居であり、モーツァルトの人生において最も贅沢に暮らしていた場所だということが伺える。

私は、オーディオガイドの音声に従いながら、展示されている資料の一つ一つに目を通して行った。あるところから、オーディオガイドの音声が邪魔になり、耳から得られる情報に集中するのではなく、全身から得られる感覚を大切にしたいと思った。

資料の中でも私の関心を最も引いたのは、やはり手書きで書かれた楽譜と手紙であった。歴史的事実を示すような年表やモーツァルトに関連のある人物たちの肖像画などにはあまり関心を示すことなく、モーツァルトが実際に書き残した楽譜や文章を丹念に追っていた。

私にとって、モーツァルトの肉筆は、モーツァルト自身の存在を最も近くに感じさせてくれるものだった。肉筆の持つ力というのは、改めて巨大なものがあると思わずにはいられなかった。

モーツァルトが書き残した一つ一つの音符や文字に、モーツァルト自身の魂が宿り、それはまだそこに存在しているかのようであった。肉筆に生々しさを感じることができるのは、本当にそこに書き手の魂がまだ生きているからなのではないだろうか。そのようなことを思わされた。

この記念館をゆっくりと見て回っている最中に、当然ながら様々な気づきが私にもたらされた。非常に些細なものもあれば、現段階では言葉にならないような気づきもあると言える。そうした気づき以外に、純粋な感動があったのも確かだ。

私が最も感銘を受けたのは、この時期のモーツァルトは音楽を通して社会的な成功を収め、かなり派手な生活を送りながらも、毎日六枚の楽譜を書き続けていたことであった。社交界を終えて夜に帰宅し、深夜まで作曲を続け、再び朝の六時から作曲を始めたことを物語る資料が展示されていた。

多くの人が集まる場所に出かけ、夜に自宅に戻ってから作曲を行い、再び早朝から作曲に取り掛かるという行為は、私には到底真似できないことだと思った。私が唯一モーツァルトと共通のものがあるとすれば、毎日何かを書き続けることだろう。

ただし、それを行うためには、私には多くのことを捧げる必要がある。決して、多くの人と交わるようなことはできないし、リズムを崩すような外出は極力避ける必要がある。

「毎日六枚の楽譜を書き続けた」という言葉が私に刺さったのは、モーツァルトという巨匠ですら、いや、巨匠であるがゆえに、毎日少しでも自分の思念を外側に表現することが不可欠なのだということを目の当たりにしたためである。

モーツァルトの魂が未だに宿る肉筆を眺めながら、私の内側で何かが動き始めた。2017/4/4

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