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879. 友人のピアノコンサートに参加して


今日は、午前中の仕事を計画通りに終え、午後からは上の階に住むピアニストの友人のコンサートに足を運んだ。実はこれまで、ピアノのコンサートに行ったことはなく、今回が初めてであった。

昼食をいつも通りの時間に済ませ、普段よりも早い時間帯にいつもと同じ時間だけ仮眠を取ってから、自宅を出発した。この間、その方がアムステルダムでコンクールに出場した際にも会場に足を運ぼうと思ったが、その時はスケジュールが合わなかった。

今回のコンサートは、アムステルダムではなく、フローニンゲンからバスで30分ほどのところにあるローデンという街で行われた。あまり誇れる話ではないが、私はフローニンゲンで生活を始めてから、欧州の小旅行に出かけた際、デン・ハーグに日帰り旅行に出かけた際を除いて、フローニンゲンの街から出たことがない。

それどころか、この八ヶ月間の生活範囲は、自宅から半径数キロ以内であり、その円から外に足を踏み出したことは一切ない。そのため今回は、オランダに来てから始めてバスに乗った。

目的地に向けたバスに乗るために、15分ほどバス停まで歩いた際にも、随分と新しい発見があった。というのも、そのバス停に行くまでのルートをこれまで歩いたことがなく、視界に入る景色が非常に目新しく、色々な小さな発見があり、とても新鮮な気持ちになったのだ。

私は、日常を精密時計のように送ることを好む傾向にあるが、そうした時計の針をあえてずらしてくれるような変化を生活の中に入れ込むことも好きだ。その優れた手段は、新たな道を歩くことや新たな場所を訪れることだろう。

これまで通ったことのない道を歩きながら、静かに滲み出す好奇心を持って辺りを眺めていた。バス停に到着し、しばらくするとバスが来た。

オランダのバスのシステムが先払いなのか後払いなのかもわからなかったが、私よりも先に待っていた一人の女性が先にバスの中に入り、そこでチケットを購入していたので、先払い制度だと知った。ほどなくチケットを購入し、席に着いた。

心地よくバスに揺られながら、あたりの景色を眺めていると、フローニンゲンの街の外には、とてものどかな環境が広がっていることに気づいた。こうした場所で生活をすることは、静かに自分の日常を形作っていくことができるに違いないと思った。

バスの車窓から見える景色に見とれていると、いつの間にか目的地のローデンに到着した。バスから一歩降りた瞬間に、小鳥のさえずりが聞こえてきた。

私は小鳥のさえずりが聞こえて来る方向に向けて歩き出した。降り立ったバス停からコンサート会場までは、非常に閑静な住宅街が広がっていた。

今回のコンサートは、一般的なコンサートホールで行われるようなものではなく、個人の家を貸し切って、そこで演奏が行われる仕組みになっている。閑静な住宅地の奥まった場所にその会場があった。

会場が見えるまで、本当にこのような場所でピアノのコンサートが行われるのか若干不安であった。だが、会場が見えた瞬間に、演奏を聴きに来たと思われる何人かの人たちが会場に入っていくのが目に入り、確かにここでコンサートが行われるのだとわかった。

会場に到着すると、今回場所を提供してくれる家のオーナーが出迎えてくれた。オーナーの方は、そのピアニストの方が通っている音楽院にレクチャーをしに来たことがあるらしく、二人は知り合いのようだった。

オーナーの方と少し雑談をした後に、演奏が行われる場所に移動した。そのオーナーの方は、オルガンを専門としていながらも、昔はピアノも演奏していたそうであり、彼の書斎のような場所で演奏会が行われることがわかった。

会場には、20人を超す人たちが詰めかけ、参加者は私を除いて全員が仕事をリタイアしたような年齢の方たちであった。コンサートホールでかしこまって演奏を聴く際には、そこでしか味わえないものがあるのだと思うが、このような場所で音楽を聴くのもいいものだと思う。

おそらく、ヨーロッパの音楽愛好家の人たちは、このように自宅を貸し切って演奏会を開いたりすることは珍しいことではないのだろう。オーナーの書斎に置かれている音楽関係のおびただしい蔵書と関連資料の背表紙を席に腰掛けながら眺めていると、友人のピアニストが会場入りをし、演奏会がいよいよ始まった。

今回は合計で40分ほどの演奏会であり、ショパンとドビュッシーの曲を演奏してもらった。その友人はプロのピアニストであるし、私には音楽の知識がそれほどあるわけではないため、演奏された曲の細部について何かを語る資格はないだろう。

ただ演奏に聴き入っている間中ずっと、私は観想的な意識状態にあったと言える。演奏されている曲を決して耳から聴いていたわけでもなく、全身を通じて聴いていたわけでもない。

身体を離れる形で音と関係を持つことは可能なのだということを改めて知った。それは、こちら側から音に歩み寄るわけでも、音の方からこちら側に歩み寄るわけでもない。

私の存在と音が共鳴し、両者が不可分の関係を持つような感覚にずっと包まれていたのだ。ショパンの曲にせよ、ドビュッシーの曲にせよ、私が普段から聴いているものに関しては、時折音に意識が向かう時があったが、基本的に私の存在と音が溶け合っているような感覚に絶えず包まれていったと言っても過言ではない。

ウィーンに訪問する一週間前に、観想的な意識に誘われるような演奏を聴けてよかったと思う。帰宅後から、明日から、また自分の仕事をいつものように取り組んでいきたいと思う。2017/3/26

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