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804. 幼少の頃から:存在の固有の色と原点


昨日の夜から、ネットワーク科学の探究を少しずつ始めることにした。アルバート・ラズロー・バラバシが執筆した“Netowork sicence (2016)”という書籍は、ネットワーク科学を学ぶ初学者にとって非常に有益だと思う。

解説の明瞭性と扱われている論点の網羅性、そして、テキストのビジュアルも含めて、独学でネットワーク科学を学ぶための格好の手引書だと思われる。昨夜、この書籍に取り掛かっていると、どうやら今の私の中で、人間の知性や能力が発達する現象を「システム」という観点と「ネットワーク」という観点から探究したいという思いが非常に強いようなのだ。

そうした思いを抑えることは難しく、ノートに「system science & netowork science!!!」という言葉を書き殴っていた。そのセンテンス自体には全く意味もないのだが、それを書くことによって、改めて自分がシステムとネットワークに関心を持っていることがわかったし、何より、探究衝動のようなものを少し柔らげて就寝に向かうことができたのだ。

フローニンゲン大学での一年目の探究生活において、特に力を入れてきたのは、まさにダイナミックシステムとして人間の発達現象を捉えることであった。そして、二年目においてもこの探究を継続させながらも、今度はダイナミックネットワークとして人間の発達現象を捉えたいと強く思う。

そのようなことを再度自分の中で確認していると、ふと幼少の頃のことを思い出した。日本のサッカー界にプロリーグが誕生した時、私は小学校二年生だったと思う。

ある日、ある生命保険会社から、カレンダーと共に、選手のプロフィール情報が掲載された小冊子が我が家に届けられたことを覚えている。私は、実際の試合を観戦するよりも、その小冊子に掲載されている選手のプロフィール情報を全て頭に入れることに強い関心があった。

今でも鮮明に覚えているのは、選手に関する情報を全て頭に入れてからでなければ、試合など見てもしょうがない、という思いが私の中にあったということだ。そして実際に、プロフィール情報を全て自分の頭に入れるために、それからは毎朝登校前に早く起き、手書きで選手のプロフィール情報を書き写していたのを思い出した。

一見すると意味がないように思われる、選手の生年月日や身長体重、そして出身校などを無心の状態でひたすらに書き写していた。あの時の私はなぜそのようなことをしていたのだろうか。

そうした記憶から、さらに翌年の出来事が自然と思い出された。小学校三年生の時の私は、生き物に強い関心を持っていた。小学校二年生の時に、東京から山口県に引っ越してきて初めて、野良犬やトンビ、そして蛇などを目撃することになった。

そうした生活環境の変化が契機となり、生き物に対する関心を私にもたらしたように思う。当時の私は、貯まったお小遣いを使って、近所の小さな書店で売られている昆虫図鑑と恐竜図鑑を少しずつ購入していくことが楽しみであった。

なぜか購入した都度、それらの図鑑を学校に持って行き、理科の時間に生物の話が取り上げられると図鑑を広げていたことを思い出す。授業中に教科書とは関係のない図鑑を広げている私に対して、担任の先生は注意することなく、図鑑に何と書いてあるのかを私に尋ねてきたことを今でも鮮明に覚えている。

学校に持って行った図鑑は全て、自宅に持ち帰ることをせず、机の引き出しやロッカーの中に置きっぱなしにしておく癖があった。そうしたこともあり、夏休み前の最後の登校日を迎える日には、それらの図鑑は膨大な量になり、一人で持って帰ることが決してできないことに気づいたのを覚えている。

とても親切な友人二人が一緒に図鑑を持って帰ってくれると述べてくれたので、図鑑でいっぱいになった手提げ袋を両手に抱えながら、私たち三人が学校を後にしたあの夏を思い出す。 幼少期のそうした行動は、今になって思うと、その理由が少しわかるような気がする。今も変わらない何かがあの時からあったのだ。

それは年を重ねるごとに忘れ去られてしまうような感覚や感情を含んだものであるのと同時に、それは決して忘れてはならないものでもあるということに、今となってようやく気づく。 サッカー選手のプロフィール情報を全て頭に入れようと早起きをしていた幼少時代の私と今の私は、何ら変わることがないように思えて仕方ない。事実、あの時、鉛筆で真っ白なノートにただひたすらに選手の情報を書き写していた行動と今の日々の私の行動は何ら変わることがないどころか、当時の嬉々とした感情と全く同様の感情が自分の内側で流れていることは、疑いようのないことなのだ。

同様に、図鑑を購入し、図鑑の一ページ一ページをめくる行為の最中で感じていた感覚と、今の私の日々の探究活動からもたらされる感覚は同じ色を持っているのだ。その色は決して私の内側から消えることなく、私が再びその色に気づくのを辛抱強く待ってくれていたようなのだ。

これこそが私の探究を根元から支えるものであり、私という存在が持つ固有の色なのだろう。私は再び原点に帰ることができたような気がしている。

原点に帰ることは、原点を中心に、再び大きな円弧を描く運動を引き起こす。自分独自の色や原点というのは、常に私たちのそばにあり、絶えず認識の光が当てられることを待っているような気がするのだ。2017/3/4

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