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779. 孔子とダーウィン


昨日、中国人の友人であるシェンの自宅で夕食を共にした。その時に、中国の思想家の一連の作品に関する話題となった。最初の話題に取り上げたのは、孔子の作品についてであった。

過去の義務教育課程やその後の人生の中で、孔子が残した作品については名前だけ知っているものがいくつかある。だが、シェンが中国語のウェブサイトを通じて教えてくれた情報によると、これまで聞いたこともないような——漢字として視覚的に認識したことがないような——作品が幾つかあることに気づかされた。

一つ印象に残っているのは、孔子が複数の漢字を数珠のようにつなげたシンボルだった。シェン曰く、この数珠のように連なった漢字のどこから出発しても、それが一つの新たな詩になるということだった。これは大変面白く思った。

思い出す限り、このシンボルは20個近い漢字で構成されており、どの文字から読み始めるかによって、20パターンの異なる意味の詩が作り出されるとのことである。曼荼羅とはまた異なる深い意味を持ったシンボルだと思わざるをえなかった。

それにしても、文字を一つずらすだけで、新たな意味を持つ詩を生み出すことができた孔子の詩作能力には、ただただ感服するだけであった。孔子がこのようなシンボルを残していたというのは、私にとって新たな発見であり、孔子に対する関心をさらに掻き立てるには十分であった。 そのようなことを思いながら、今日は午後から “Handbook of Creativity (1999)”という書籍に目を通していた。これは昨年私がケンブリッジ大学を訪問した時に、ケンブリッジ大学出版の直営書店で購入したものである。

購入後、自分の関心のある章を中心に目を通し、幾つかの書き込みがしてある。今日、もう一度この書籍を読んでおこうと思ったきっかけは、先日の「創造性と組織のイノベーション」のクラスで、エリク・リーツシェル教授が教壇にこの本を置いていたことである。

その書籍を目にした時、自分の書斎の本棚が想起され、その本が本棚のどこに置かれているのかをすぐさま思い出すことができた。そういえば、二週間前に知人が私の家に来た時、この書籍について少しばかり話をしていたのをふと思い出したのだ。

そのような経緯を経て、本日この書籍を改めて読んでみることになったのである。細かな話を避けると、本書のある章において、ダーウィンの世界観の変遷過程が取り上げられていた。

それを見て、私は静かな気持ちになった。ダーウィンがベーグル号に乗船して以降の六年間において、ダーウィンの世界観が静かに質的な変容を遂げていることに神妙な気持ちになったのだ。

ダーウィンの中の知識体系が、彼自身が探究対象とした生物のように、ある種の生き物として進化していく様子を目撃したのである。神妙な気持ちの中、やはりダーウィンから励まされるようなものがあったとも言える。

彼の世界観や知識の体系が質的な変貌を遂げているのを目撃したのと同時に、その初期の世界観や体系というのは、晩年のそれらと比べてみると未成熟なのだ。そうした未成熟の世界観や体系が徐々に脱皮し、再構築されていった結果として、ダーウィンの晩年の思想体系というものが出来上がったのである。

また、ダーウィン自身が複数の領域の中に絶えず身を置いていたということも、私にとっては嬉しい発見であった。一つ一つの領域の中ですでに積み重ねられたものを理解する作業がなければ、その領域に真に新たな知見を加えることは難しい。

だが、一つ一つの領域ですでに構築された体系を習得することですら難しにもかかわらず、複数の領域を同時に探究することは、とても無謀な試みなのではないかと思う自分がどこかにいたのは確かである。しかし、私は複数の領域を同時に探究することなしには、もはや前に進めないような状況に置かれているように思う。

そうした最中、ダーウィンが同じような生き方を強く推進していたことに励まされるものがあったのだ。こうした生き方は、ダーウィン以外にも、発達心理学に多大な功績を残したジャン・ピアジェも生涯にわたって貫いていたことを思い出す。

過去の巨人たちから、私はいつも多大な支援を受けている。2017/2/25

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