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758. ピカソから教えられたこと


早朝の目覚めと共に、自分の内側に途轍もない活力が湧き上がっているのを感じた。

寝室から一歩外に踏み出した瞬間に、就寝から覚醒までの間にアトリエに行くのを心待ちにしていた画家のように、私は書斎に向かうことを、夢の中から今この瞬間にかけてとても待ち遠しく思っていたかのような気持ちに襲われた。

私は、自分の仕事を好きだという気持ちを超えていかなければならない。それは探究活動のほんの始まりでしかない。

真に自分の探究活動が始まるのは、対象を好きだという気持ちを超えて、それに無条件の愛を持って接することが大切なのだ。探究活動は、他者のために行うものでも、自分のために行うものでもないのである。

他者のために行うことを第一に掲げる探究活動は、単なる偽善的なものに成り果てる。同様に、自分のために行う探究活動は、単なる自己中心的なものに過ぎない。

探究活動そのものと完全に結合するほどに、そこに入り込むことが何よりも大事である。好きだという気持ちではそこに入ることはできない。

無条件の愛を持って、自己が完全に溶解することが極めて重要なのだ。一個人の探究活動が、無条件の愛を通して、普遍性に到達するまで、小さな自己を超克し続けていく覚悟を持ちたいと思う。

ここ数日間の間において、私は、学者や研究者の仕事に対する見方がまた少し変わったように思う。見方の変化というよりも、むしろ、見方そのものに亀裂が生じたと言っていいかもしれない。

その亀裂から、私は再び自分の道を進み始めたと言えるだろう。 それをもたらしたのは、ピカソに関する一つの史実であった。

芸術家の作品は、個人の内面領域に留まるものではないのだ。美は、個人の内面領域を司るものであるが、美には個人の内面で留まり続ける純粋に崇高な輝きもあれば、集合的な闇と対峙し、その闇に光を与えるような関与をもたらす美もあるのだと知った。

ピカソが断固として、フランコ独裁政権に抵抗し、作品を通じてそれを強く訴えていたということを知り、私は、ピカソが真に創造的な芸術家でありながらも、政治や社会に深く関与していたのだということに感化されたのだ。

往々にして芸術家は個人の内面世界に閉じこもりがちだと見なされるが、『ゲルニカ』のような作品を見るにつけ、ピカソ自身が深く社会とつながり、社会の闇に光を照らすかのような強い衝動を持って、あの作品を作り上げたような気がしてならない。

思想家についても全く同じである。彼らは内面世界に閉じこもって自身の思想体系を構築しているのではない。

真の思想家であればあるほど、思想の根幹は集合的なものに対する問題意識と密接につながっているのだと思う。仮に思想の出発点がいかに個人的なものであったとしても、出発点を生み出す空間そのものがすでに社会的なものであるはずなのだ。

こうしたことは、学者や研究者にも等しく当てはまると信じている。真の学者や研究者もやはり、個人の領域を越境し、集合的なものへの関与へ乗り出すのだと思う。

それが起こり得るためには、小さな自己を乗り越えてでも普遍性へ到達するという覚悟が必要であり、普遍性を希求するような激しさが必要なのだと思う。

普遍性に真に向かおうとする者は、普遍性を犯す集合的な闇や病理を見過ごすことなどできようがないのではないか、と強く思うのだ。2017/2/19

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