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756. 愛と死に縁取られた解き放たれた箱

March 13, 2017

なぜこれほどまでに、毎日が充実したものとして感じられるのかわからないことが時々ある。オランダ北部の小さな街フローニンゲンでの今の生活は、毎日の活動の一つ一つの中に、他には還元できない粒子のようなものが凝縮されているのを感じる。

 

この粒子に触れる時、私は形容できないほどの幸福感を覚える。多種多彩な粒子に満たされた生活を過ごす中で、人間として深く生きることの最初の一歩を踏み出し始めたことに気づくことができる。

 

充実感という概念を超えた充実感、そして、幸福感という概念を超えた幸福感を感じながら日々の生活を送るというのは、深く生きることの始まりでしかないように思える。

 

今の私の日々の生活を冷静に眺めてみると、私の毎日は、一つの解き放たれた箱の中に、多種多彩な粒子が充満しているような絵を思い浮かべることができる。だが、この箱を真に縁取る二つの重要な事柄については、今の私は何ら自分の言葉を紡ぎ出すことができない。

 

二つの重要な事柄とは、愛と死である。私にとって、絵も言わぬほどの激しい充実感や幸福感を感じながら生きることが、人間として真に生きることの始まりでしかないというのは、まさに愛と死という二つの事柄の意味を依然として掴めていないからである。

 

今一つ言えることがあるとすれば、間違いなく、毎日という一つの解き放たれた箱の縁は愛と死で構成されているということである。今私は、日々の生活という解き放たれた箱を満たすものについて気づきを得ることができた。

 

同時に、そうした箱は、愛と死で静かに縁取られていることも徐々に認識することができ始めている。一人の人間の生を真に生きるためにも、そして、一人の人間の生を突き抜けていくためにも、愛と死に関するテーマはとても重要なものに思えて仕方ない。

そのようなことを考えながら、私はまた別の観点から自分の生き方について考えることを迫られていた。誰かがこしらえた人生を生きるのはなく、自分の人生を徹底的に生きることを通じて誰かのために生きることができたら、それ以上望ましい生き方はないのではないかと強く思ったのだ。

 

それぐらいに、今の私は、とにかく他者や社会が密かに投げかけようとする偽りの人生を生きるのではなく、透徹した意志で自分の人生を生き抜くことを通じて誰かのために真に生きたいと強く望む。

 

こうした意志が滲み出てこない自分の仕事は、一緒くたに切り捨てなければならない。そのような仕事は、真に自分の人生を燃焼の最中で生き抜くことから遠ざけ、誰かのために真に生きることを偽善的なものに変えてしまう。

 

日々の生活という解き放たれた箱を静かに縁取る愛と死を、両手で握りしめながら、自分の人生を激しく生きることを通じて誰かのために生きることができるのであれば、私はそれ以上望むものはもはやない。2017/2/18

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