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734. 音楽の具現化へ向けて


夕方の仕事を終え、浴槽に浸かっている最中に、本日の午後に書いていた日記について、少しばかり説明を補足しなければならないとふと思った。それは、芸術鑑賞における知識の重要性についての日記である。

その時に書いていた文章は、基本的に絵画鑑賞よりも音楽鑑賞を念頭に置いていたように思う。楽曲に真摯に向き合うことと、豊穣な背景知識を獲得することにより、音楽体験が深まるというようなことを書いていたように思う。

もちろん音楽体験そのものを深めることは価値あることなのだと思うが、音楽体験を深めることが私にとって重要なのではない。深められた音楽体験を日々の生活の中に溶かし込むことが、私にとってより重要なのだと思う。

美しい音楽に恍惚感を覚えることは尊い体験でありながらも、それに耽溺したくはないのだ。耽溺さを超えて、音楽体験が日々の仕事に滲み出し、日々の生活から片時も離れぬ形で音楽体験が溢れ上がるように生きたいのである。

そのため、単純にある楽曲の知識を増やすことは、私にとってほとんど重要ではないと言える。私の音楽の向き合い方には、どうやら辿っていかなければならない段階があるようだ。

つまり、楽曲に向き合う姿勢を育みながら、楽曲に関する知識を獲得していき、音楽体験を徐々に深めていくというプロセスを経て、それが常に自分の仕事や生活の中に、否応無しに滲み出てくるようにしていくプロセスである。

敬愛する辻邦生先生が、音楽から受け取ったものを小説という形で表現したように、私も、音楽から享受したものを学術論文という形で具現化させたいと強く願う。いや、人間の発達研究のみならず、発達支援の実務や日々の生活の中の一つ一つの行為の中に、音楽が形となって現れるようにしたいと思う。

非常に難解な試みかもしれないが、まずは学術論文という表現様式の中で、音楽から受け取ったものが滲むようにしていきたい。その方法を考えていくことが重要であり、それを常に実際の文章の執筆の中で試してみたいと思うのだ。

表面的な点として、論文の中で選ぶ語彙の質感、それらの語彙が生み出す一つのセンテンス、複数のセンテンスが生み出す一つの段落、複数の段落が生み出す一つの章、複数の章が生み出す一つの全体が、自分独自の音楽を奏でるかのような形で表現したいのだ。当然ながらこれは、私の単なる理想である。

こうした理想を実現させるためには、兎にも角にも、本業である知性発達科学に関する深い知識と研究を進めるための技術がなくてはならない。それらが最優先させなければならないことでありながらも、頭の片隅では、常に音楽と一体化となった仕事を進めていきたいと願っている。

仕事の中枢に音楽的な何かを据えることを絶えず意識し、音楽的な何かが仕事上の表現活動において必然的に滲み出るようにしたいと強く思う。2017/2/10

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