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731. 一枚の写真から


一昨日に行われた「複雑性科学とタレントディベロップメント」のクラスの中で見た一枚の写真が頭から離れない。今でもその時に受けた印象が色濃く私の内側に残っている。

その写真は何の変哲も無いものだと言えるかもしれない。それは、巨大な蟻塚が映し出された写真である。

このレクチャーを担当していたラルフ・コックス教授は、この写真を用いながら「自己組織化」という複雑性科学の中で極めて重要な概念について説明をしてくれた。実は、私は自己組織化に関する説明を聞く際に、こうした蟻塚の写真を過去何度も目にしていた。

写真それ自体は全くもって目新しいものではないはずなのに、妙にその時の自分に響くものがあったのだ。実際には私は、蟻塚のイメージをノートに書き写し、自分がその時に感じていたことを簡単にメモしていた。

人間の身長の三倍ほどの高さを持つ蟻塚を目の当たりにした時、あの小さな蟻たちがこのような巨大なものを生み出したことにある種の感動を覚えていた。全くの砂地から、このような巨大なものを生み出したプロセスと、その背後にある物語に想像を膨らませないわけにはいかなかったのだ。

周りにある砂つぶを集め、平坦な土地に徐々にそれを積み重ねていく蟻たちの姿。人間のような意思を持たない蟻たちが、一匹一匹自律的に砂つぶを集めてきては、それを少しずつ積み重ねていくプロセスと物語に打たれるものがないだろうか。

写真に写っていた蟻塚が完成するまでに要した時間は、どれほどのものだったのか私にはわからない。だが、長大な時間をかけてそれが出来上がったことは想像に難くない。

小さな蟻たちが築き上げたある種の巨大な建築物を見て、私はなんだか励まされたような気がしたのである。小さな黄色い閃光のようなものが私の中に芽生えたのは確かである。

この写真が本来示す、発達現象に潜む自己組織化や累進的差異化などという概念は、その時の私にとって全く重要なものではなかった。重要なことは、意思ある人間として献身的に日々の仕事に取り組み、それを積み重ねていくことであった。

そして、蟻たちがその巨大な蟻塚を構築している時の姿勢そのものに着目しなければならなかった。彼らは、他の集団の蟻たちが作っている蟻塚と自分たちが作っている蟻塚を決して比較することなどなかったはずなのである。

ましてや、過去の蟻塚や未来の蟻塚と自分たちが今この瞬間に作っている蟻塚を比較することもなかったはずである。さらには、自分たちが今この瞬間に作っている蟻塚でさえも、それがどのような大きさを持っているのかを気に留めなかったはずなのだ。

つまり、蟻塚を構築するという彼らの行為の源泉は、他者比較でも、自己比較ですらもないのだ。他者と比べることをせず、自分と比べることもしないという自他超越の次元の中で、時間を超越しながらその仕事に取り組んでいたはずなのだ。

これが自分が打ち込む取り組みとの完全なる合一化の要諦であり、人知を超えた創造物をこの世界に顕現させる秘密なのだと思う。そのようなことを思いながら、私はまた少しおかしな想像をしていた。

おそらく、写真に写る巨大な蟻塚を創造した蟻たちは、彼らの命が尽き果てるまで砂つぶを積み重ね続けていたのではないか、という想像をしていたのだ。

今の私に必要なのは、これまで以上に透徹した意思と精神であり、生が終焉を迎えるその日まで、小さな仕事を積み重ねていくことに尽きると思うのだ。2017/2/10

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