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722. インタビューを受けて


今朝は五時半に起床し、履修コースの課題論文をいくつか読み進めていた。早朝に読み進めていたのは、人間発達に関する哲学的な論争に関するものである。

古典的な論点であるが、生得主義と経験主義に関する論争において、経験主義の研究者が抱きがちな、生得主義に対するいくつかの誤った批判を、実証研究を例に挙げながら批判する論文である。

いつも論文に向き合うように、それらの批判内容を記憶するような読み方をすることなく、むしろ著者の批判を通して、自分なりの考え方を育むことを意識していた。また、論文中の論点とは全く関係のない閃きを大切にしながら論文を読んでいた。

どのような論文にせよ書籍にせよ、結局のところ、よほどその領域に関する知識がない限り、一読しただけでそれらの文献を理解することは難しいということに改めて気付かされる。そのため、初読のときは、その論文の構成や著者の重要な主張を押さえることを意識するだけであり、あとはその論文を通して自分の中で湧き上がってきた考えを論文に書き込むことを行っている。

二読目や三読目ぐらいにならなければ、細かな論点や著者の論理を精密に追いかけることは、私にとってとても難しい。それゆえに、特に優れた論文に関しては、やはり繰り返し読み込むことが大切となる。こうしたプロセスは、書籍を読むことに関しても全く同じである。

早朝の読書がひと段落ついたところで、昨年出版した『なぜ部下とうまくいかないのか:自他変革の発達心理学』に関するインタビューを受けさせていただいた。普段、自分の研究内容や実務内容を話し言葉で表現する機会がほとんどないので、こうした対話形式の場をいただけることはとても有り難いことだと思っている。

日記を通して自分の研究内容や実務内容を紹介するのは、ある意味、一人称の実践であるのに対して、対話を通じてそれを行うのは、二人称的な実践だと言える。実践の人称が変化することによって、当然ながら光の当てられる領域が異なり、開示されるものもまた異なることになる。

そうした意味で、一つの人称表現に縛られず、複数の人称表現を横断するような実践を行うことは、それぞれに固有の学びを私たちにもたらしてくれるのだと再確認した。また、成長支援コーチングという実務の場においては、私は聞き手役に徹しているため、今回のように話し手になることは新鮮であった。

当然ながら対話の質に左右されるが、対話の本質は変容的なものであり、なおかつ治癒的なものだと改めて思わされた。極言すれば、変容的かつ治癒的な作用がないものは、対話と呼べないのかもしれない。

今回のインタビュー記事が公開される日が、今からとても楽しみである。2017/2/7

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