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707. 絵画的・音楽的に生きること


早朝から何やら物音がするので、いつもより早く目が覚めた。物音が聞こえてきたのは、上の階からであった。

そういえば、最上階に住むスウェーデン人のアクセルは、九月から五ヶ月間ほどフローニンゲン大学で研究を進めた後に、スウェーデンに戻るということを述べていたのを、眠い目をこすりながら思い出した。

それにしても、早朝の五時から、律儀にも掃除機をかけて出て行くとは思ってもみなかった。アクセルがスウェーデンに帰ったことに伴い、改めて人生における出発について考えていた。

昨日偶然ながら、私もいつかフローニンゲンの街を去る日が来ることに思いを巡らせていたのだ。書斎の窓から見える景色を見ながら、自分がこの街を去る当日の気持ちになっていたのは、幾分気が早いことであり、少しばかり滑稽に思えた。

しかし、その日がいつか必ずやってくるということだけは確かなのだ。人間の発達に関する仕事にのめり込めばのめり込むほど、ある側面において日本という国が遠ざかっていき、また別の側面において日本という国が近づいてくるのを感じる。

遠ざかっている側面というのは、単純に私と日本との物理的な距離であり、生活拠点を日本に置く可能性が減少の一途をたどっている、ということである。逆に、近づいてくる側面というのは、日本との精神的な距離であり、それは増加の一途をたどっていると述べてもいいだろう。

日本を離れて自分の仕事に打ち込むことによって、遠ざかるものと近づくものの双方があることに気づく。そのようなことを思いながら、書斎の窓から道行く人を眺めていたのだ。

フローニンゲンの街を去る日までに、私は自分の仕事をどこまで深めることができるのだろうか。そして、自分の内面世界はどのような成熟を遂げていくのであろうか。その日に向けて、今日も自分の仕事を粛々と進めていこうと思う。

アクセルがこの街を去った出来事は、普段と異なる彩りや音色をこの日の朝にもたらしたと言えるだろう。おそらく、日常と少しばかり異なる彩りや音色に気づくこと、そして、それに気づいた瞬間に、それらに少しばかり浸ってみることが大事なのかもしれない。

何気ない日常の中に潜むこうした何気ない差異を見落とす時、私たちの人生はたちまち単色で塗りつぶされ、単音だけが鳴り響くものに成り果ててしまうことになるだろう。そうした意味において、私は絵画のように、そして音楽のように生きたいと思うのだ。

これは、絵画を鑑賞しながら生きることや、音楽を聴きながら生きることとは異なる。文字通り、絵画のように、そして音楽のように生きることを意味するのだ。

毎日の生活の中で触れる全てのものが、様々な色を持つ一つの絵画となり、様々な音を持つ一つの音楽を成すように生きたいと強く思う。そもそも、私たちの感覚が曇りさえしなければ、目の前に広がる世界が常に絵画的であり、音楽的だということに気づくはずではないだろうか。

そうした気づきが、もはや気づく必要のないものに至るまで、私は徹底して絵画的・音楽的に生きたいと思う。2017/2/1

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