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694. 集合的な麻酔


日常、私はふとした時に、いかに自分の感覚が麻痺をしていたかということに気づかされることがある。そうした気づきは特に、日々の何気ない現象に対する感動によってもたらされる。

今朝、書斎の窓を開けた時、小さな鳥の鳴き声が聞こえてきた。吸い込まれるような静けさを持った朝の時間帯に、その小鳥の鳴き声はとても存在感のある綺麗な音として私の身体に飛び込んできた。

おそらく、この小鳥は今日だけではなく、ほぼ毎日同じ時間帯に同じ場所に来て、このように美しい鳴き声を奏でているのだと思う。自分の存在を忘れてしまうようなこの鳴き声に耳を傾けながら、こうした日々の何気ない現象に対して感動する気持ちを忘れたくはないと思った。

感動を呼び起こすものは、私たちの身の回りの至る所に溢れているのだと思う。しかし、私たちは日々の生活の中で、そうした現象に取り囲まれていても、感動することがなかなか難しいのはなぜなのかについて考えさせられていた。

一つには、どこか私たちの感覚が麻痺しているからなのではないかと思う。つまり、感動を生じさせる感覚の麻痺という事態が、私たちの中で見られるのではないだろうか。

この問題は、感動に対してのみならず、他のあらゆる感覚についても状況を同じにしているように思うのだ。要するに、多くの現代人は、金銭感覚にせよ時間感覚にせよ、様々な感覚が麻痺してしまっているような気がしてならない。これはある種、集合的な病理だと思う。

昨日、抜歯をする際に麻酔をかけられ、麻酔の性質と歴史がとても気になっていた。帰宅後、実際に麻酔の性質と歴史を調べていると新たな発見が色々とあった。

しかし、今ここで問題としているのは、そうした表面的な知識から得られたことではない。痛みを感じなくさせる麻酔と同様の見えない何かが、私たちに注入されているということに気づかなければならないのだと思う。

それは物事に感動する私たちの心を麻痺させ、金銭の虜になっていることに対して私たちを無自覚にさせ、ゆったりと流れる時間を真に味わう感覚を麻痺させるような作用を持っている。昨日の麻酔の体験から得られたのは、麻酔がかかっている状態と麻酔が切れた状態の違いを真に把握することの難しさであった。

担当の歯科医から、麻酔は2~3時間で切れるという話を聞いていた。その情報をもとに、私は麻酔がかかった状態から麻酔が切れた状態の移行過程をつぶさに観察することにした。

しかし、一体いつ麻酔が切れたのかわからなかったのだ。確かに、私は患部に痛みを与えないように安静にしていたため、麻酔の効果が残っているのかを判断することは難しかったのだと思う。

しかしながら、逆に考えると、私は自分が麻酔にかかっていても麻酔にかかっていないかのような錯覚を持ちうるし、麻酔にかかっていなかったとしても麻酔にかかっているかのような錯覚を持ちうると思ったのだ。

そして、厄介なのは、身体的な感覚よりも、精神的な感覚の方が、麻酔にかかりやすく、さらには、麻酔にかかっているのかどうかに気づきにくいことだと思うのだ。私たちは、自分がどのような種類の麻酔にかかっているのかを真剣に見定めることが必要なのではないだろうか。

書斎の窓から聞こえてきたその小鳥の鳴き声は、感動という感覚を麻痺させてはならなことを強く私に自覚させ、それは優しさと美しさの中に、警鐘の音を多分に含んだものだった。2017/1/28

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