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684. 個性のある知識体系


今朝は親知らずを抜くことに関する夢によって起こされたため、あまり目覚めが良いものだとは言えなかった。気分を変える意味も兼ねて、今日は午前中から午後にかけて、フローニンゲン大学が主宰する教育に関する研究と実践をテーマにしたプレゼンテーションとワークショップに参加した。

具体的に私が参加したのは、「インクルージョン教育」に関するプレゼンテーションと、「MOOCを活用したオンライン学習」と「チーム学習」に関する二つのワークショップである。それら三つの項目については、いろいろと考えさせられることがあり、今後折を見て、自分が考えたことを書き留めておきたいと思う。

記憶に残っている範囲で、自分が考えを深めたいと思った論点を概念化してみると、「多様性と思考の柔軟性」「演繹的なアイデンティティの形成と帰納的なアイデンティティの形成」「植民地化を促し得るMOOCの危険性」「教育格差の拡大を生み出し得るMOOCの危険性」「成人教育におけるチーム学習の応用方法」などが挙げられる。

今回のプレゼンテーションやワークショップに参加しなければ、これらの項目は思いつかないようなものであったため、新しい知識と観点を得ることができ、それには非常に満足している。

そこから私が考えていたのは、知識の幅と深度の問題と知識の体系化の問題である。これは数日前にふと思ったことなのだが、幅を広げようとして接した知識は、結局自分の知識の幅を広げることには繋がらず、ある時からそのような意識で知識と向き合うことをやめた自分がいることに気づいた。

今の私は、知識の幅を広げようとするような意図は一切ないと言える。ただし、点としての知識をより深めていこうとする意識は極めて強いと言えるだろう。

知識の幅を広げることを目的として知識と接することが浅薄な営みであると思ったのは、知識というものはそもそも、深さから幅が生まれるということを経験的に知ったからだろう。つまり、一つの知識項目を深めていった結果として、点が徐々に周辺に大きさを拡大していき、それが知識の幅を生むということである。

私は、いつも自分の探究分野は極めて狭いと思っている。研究者や実務家としての関心は、結局のところ、「人間はどのように成長・発達し、どのように成長・発達を育むことができるのか?」という一つの問いに集約されてしまう。それぐらい、私の関心は狭いのだ。

だが、そうした狭い関心を掘り下げていく過程で、結果として幅の広い知識が獲得されつつあることに気づく。例えば現在であると、人間の複雑な発達プロセスを研究するためには、複雑性科学の知識が必須であり、特に応用数学のダイナミックシステム理論に関する知識が不可欠となる。

ひとたびダイナミックシステム理論の世界に足を踏み入れてみると、そこから派生して、情報理論や物理学の論文を読んでいる自分がいるのだ。また、知性や能力の構成要素は無数に存在しており、幾つかの重要な構成要素が相互作用するプロセスやメカニズムを掴むために、社会学のネットワーク理論に関する論文にも目を通す自分がいる。

そして、実務家として、それらの科学的知見を人財開発や組織開発にどのように活用していけばいいのかについて考えるために、産業組織心理学や臨床心理学の論文にも自然と目を通している。正直なところ、そうした幅の広い知識を獲得しようと思ったことはなく、結果としてそうした知識を獲得しつつある自分がいるということなのだ。

そもそも出発点は、一点である。要するに、「人間はどのように成長・発達し、どのように成長・発達を育むことができるのか?」という一つの問いを起点に据えた結果として、知識の幅が偶然ながら拡がっているということである。

ここから改めて、幅を優先させて知識と向き合うことは、あまり歓迎できるものではないと思う。重要なのは、一つのテーマに執着・固執することにあるだろう。

そうした執着心が知識の深さを生み出し、結果として知識の幅を広げてくれるのだと思うのだ。そして、一つの点に執着することは、結果として自分の独自な知識体系を生み出すのだと思う。

どうも私には、こうして生み出された知識こそが、個性のある知識体系と呼ぶにふさわしいものに思えて仕方ない。

書斎の窓から日が沈みかかった空を見上げると、薄いオレンジ色を放った飛行機雲が十字架のようにクロスしていた。私は、二つの飛行機雲が交差した一つの点を注意深く見つめていた。2017/1/25

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