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674. 物語と変容


昨日、自分の中で「物語」という概念が気になっていた。それは突然、その概念に掴まれた感じであった。物語という概念が持つ意味や特徴について深く考えたわけでもなく、その輪郭の上を歩くように、ただぼんやりとそれについて思いを馳せていたのだ。

特に、昼食前に近所のスーパーへ向かっている最中は、物語という言葉が持つ輪郭の上を私は確かに歩いていたように思う。スーパーが視界に入り、河川を架橋する橋を渡りきった時、突然、これまでの人生が一つの壮大な物語に思えたのだ。

同時に、その物語はこれからも続くという確信を得たのだ。「物語はこれからも続く」ということの意味は、自分の人生の中だけにとどまらないことを知った。

つまり、自分がこの世からいなくなっても、自分の物語は永続するということを知ってしまったのだ。これは奇妙な話でありながらも、とても腑に落ちる話だと私は思った。

これまでの私の人生で生み出された物語についてぼんやりと考え、これから紡ぎ出される物語について、しばらくぼんやりと考えていた。そして、その物語が自分の人生で完結することなく、自分の世界から解放される形で永続するという気づきに対して、とても神妙な気持ちになった。

結局のところ、自分が行う仕事や探究活動の本質は、物語の永続的な創出の中にあるような気がしてならなかったのだ。このテーマは、昨日の私に少なからず影響を与えていたようだ。

今朝も昨日と同様に、起床時間が七時半であった。普段よりも睡眠時間が長い。昨夜就寝前、物語に関するテーマが様相を少し変え、この五年間と十年間の自分の足取りを振り返ることを私に否応なしに突きつけてきた。

振り返ってみると、この五年間と十年間を通じて、随分と内側の変化があったように思う。それらは当時の自分では全く想像していないものであったし、当時の自分はそれらを微塵も望んでいなかった。

そこからもしかすると、真の意味での変容というのは、今の自分が望んでいる形では起こらないのではないかと思った。つまり、真の意味での変容とは、今の自分の想像をはるかに超えるものであり、それは良くも悪くも、今の自分が望むような姿とは全く違うものを私たちにもたらすのである。

そのような気づきを得たためか、私はこれからの自分の変容の姿に思いを巡らせることは一切なかったのだ。ただし、私はこれからの五年、十年の間でさらに大きな変容を経験するであろう、ということを直感的に掴んでいた。

その形を求めないことが今の自分には大切であった。なぜなら、そうした形は、内側の成熟を押しとどめる不要な型となり、成熟の足取りを停滞させると思ったからである。

内側の成熟は、今の自分が想定する型よりも高く深いものとして顕現するように思うのだ。成熟の歩みを阻害せず、その歩みとともにゆっくりと歩くことが何よりも重要なことだと思った。2017/1/21

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