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672. 遅く起きた週末と物語


昨日に大量の文章を長時間にわたって音読していたせいだろうか、昨夜の睡眠は脳を回復させるのに時間がかかったようである。目覚めてみると、朝の七時半を過ぎており、いつもよりだいぶ遅い起床時間となった。

目覚まし時計で起きることを避けるようになってから、十年以上の月日が経つ。目覚まし時計を使わないようにしているのは、自分の身体のリズムに合わせて、必要な分の睡眠時間を適切に取り、無理に覚醒させられることを避けるためである。

昨夜も九時半から就寝準備を始め、十時には眠りについていたことを考えると、昨夜は随分と眠っていたことがわかる。確かに、昨日大量の文章を音読している最中にふと思ったのは、これは脳を最大限に駆動させ、これを長く続けていれば、脳は随分と鍛えられるだろう、ということだった。

ただし、昨日は少々脳を酷使しすぎたようであり、そのために睡眠時間が長くなったのだと思う。少しばかり遅く起きた週末の朝、いつもと変わらぬ朝の習慣的な実践を行い、以前書いた自分の文章に目を通していた。

一つか二つほど以前書いた日記を読み返し、それに加筆修正を加えるということも私の毎朝の習慣となっている。今日はある文章を読みながら、それを書いたのは本当に自分なのだろうか、という思いが湧いてきた。

細かな内容や文章の構造というよりも、全体として眺めてみたときに、その記事を書いたのは自分ではない気がしていたのである。しかし、よくよく考えてみると、それもそのはずだと思った。

過去の文章を読んでいる今の自分は、もはや過去の自分ではないのである。自分の内側の変化に絶えず意識を払い、それを逃さず観察していることを続けていれば、過去の自分と今の自分との間に見過ごすことのできない変化の証が存在していることに気づく。

先ほど読み返していたのは、何の変哲も無い話題について書かれた日記であったが、今の私にとって、自分の変化の痕跡を辿るためには、そうした日記は非常に貴重な資料だと思った。

今日は土曜日であるため、週末特有の時間感覚が流れていることがわかる。そうした時間感覚に包まれながら、ゆっくりと探究活動と仕事を進めようと思う。

自分の内側のリズムを掴み、そのリズムと探究活動が真に合致するとき、一般的な意味での休息など必要ないことがわかる。自分にとっての最大の休息は、内側のリズムと探究活動のリズムが合致した際に生み出される新たなリズムの中に溶け込むことである。

それが何よりも心地よく、それが最大の休息として私を落ち着かせるのである。こうしたことが、日々の生活の中でほぼ完全に実現できつつあることは喜ばしい。

今日は午前中に、第二弾の書籍の原稿を再度読み返し、いよいよ月曜日に完成原稿として出版社に送るつもりである。午後からは、自分の研究を少しばかり前に進めたいと思う。

具体的には、一つの大きなデータセットを、カート・フィッシャーのレベル尺度を用いて分析しておきたい。それが終われば、自分が構築したコーディングシステムを評価することができ、これに関する文章を研究論文の中で執筆していくことができる。

毎日毎日が、一つの大きなリズムの中から生み出されていることを強く実感する。そのリズムが生き物のように変化に富むためだろうか、毎日書き記す日記の連なりが、一つの大きな物語になっていくかのようだ。2017/1/21

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