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665. オランダの歯医者


今日は朝一番から、第二弾の書籍の加筆修正を行っていた。幸いにも、集中した意識の中、この作業に取り組むことができたように思う。

以前言及したように、文章を寝かせることはとても大切なことだと思った。文章を寝かせてみて、再度自分が書いた文章に目を向けると、論理展開の不備という表面上の問題のみならず、言葉の密度のばらつきという、私にとってより大事な問題に気づくことができる。

今日は朝から、言葉の密度が弱いところを補強するように、新しい言葉を付加させていくことを行っていた。この作業は、昼食後をもってして、とりあえず無事に完成したと言える。

図表の作成も終わっているので、これから取り組みたいことは、三種類の見出しのうち、最小単位である小見出しを自分なりに設定していくことだろう。前回の著作では、中見出しと小見出しを全て編集者の方に付けてもらっていた。しかし、今回は編集者の方から事前に助言を得ていたので、自分なりに小見出しを付けておきたいと思う。

そして今日は、五年間の外国生活の中で初めての経験をした。それは歯医者に行くことである。

振り返ってみると、今から六年前の渡米直前に、当時住んでいた大阪で歯医者に行ったきりになっていた。その時の光景が蘇る。当時、歯のメンテナンスを兼ねて毎年一回は歯医者に行くように、という忠告を担当の歯科医から受けていたことを今になって思い出す。

アメリカに渡ってからは、歯医者に行く余裕があまりなく、そもそも日本人以外の人間に自分の歯を治療してもらうことに対して、当時は幾分抵抗感があった。しかし今回はそのようなことを言っていられない事態に見舞われた。

今から数日前、日本からオランダに戻ってきて、突然、左右の上の奥歯が痛み始めたのだ。何もしていない時に痛むのではなく、食べ物を噛む時に痛みが走るのである。

この痛みを感じるのが嫌であったため、いっその事、食事を抜きたい時すらあったのだ。最初は疲れからくる歯の痛みだと思っていたが、身体の疲労が歯に影響を与えるというのもあまり納得のいく説明ではなかったため、すぐさま近くの歯医者に見てもらうことにしたのだ。

歯の異変を感じてからすぐに予約を済ませたので、痛みが悪化する前に診断を受けることができたのは有り難かった。その歯医者は、これまでオランダ語の学習のために足を運んでいた大学キャンパスのすぐ近くにある。

そして、この歯医者の歯科医は全員、フローニンゲン大学の歯学部を卒業していることがウェブサイトからわかったので、どことなく親近感と信頼感があった。実際に歯医者に着いてみると、非常に適切な対応をしてくれた。

私は歯科医ではないため、歯に関する英語の語彙は豊富ではないのだが、担当医の話を不自由なくすべて理解することができた。担当医の説明の最中、”wisdom tooth”という単語が出てきたが、それもすぐさま「親知らず」のことだと文脈から容易に推測することができた。

結局、来週の金曜日に、左右の上の親知らずを合計二本抜き、親知らずの横にできた虫歯を治療することになった。「親知らずを抜く」ということを聞いた時、すかさず担当医に、「先生、親知らずを抜くのはとても痛いと聞きました・・・」と子供のような発言を私はした。

すると担当医は、「はは、大丈夫です(笑)。痛くないように麻酔をかけますから」と述べ、私を優しくたしなめた。麻酔をかけてもらえると聞いても、やはり不安感が残る。

目安の治療時間は30分とのことであるが、虫歯の治療から親知らずを二本抜く作業をわずか30分でできるのだろうか?雑な治療によって、親知らずを痛く抜かれないだろうか?という懸念が頭をよぎっていた。

また、歯というのは垂直方向に生えるのが通常であるが、私が持っている下の左右の親知らずは、なんと水平方向に生えており、歯茎の下に未だ隠れたままになっているそうだ。

今のところ、それらの歯は問題を引き起こしていないが、それらを抜くためには特殊な「手術」が必要になり、普通の歯医者では治療が不可能であるという説明を受けた。まさにとどめの一撃である。

とりあえず、親知らずを抜くことと虫歯を治療することで合意したが、上記のような懸念を心の奥底で抱えながら、私は歯医者を後にした。

歯医者を後にし、自宅へ帰る道すがら、しばらく自分の歯のことについて考えていた。今後どの国で生活することになったとしても、毎年一回は歯の検診に行こうと固く誓った。

そこから同時に、いくら健康に気を使っていたとしても、自分の気づかないところで、何らかの問題が堆積している可能性があるということにも考えが及んだ。特に、身体の内側の諸々の器官についてである。

六年前に企業人であることを止めたことに伴い、定期的な健康診断を自らの意思で行っていかなければならないことに改めて自覚的になった。そのようなことを考えながらとぼとぼ歩いていると、フローニンゲンの街の上空にある雲が、赤紫色の夕日に照らされて、美しいホログラムのように見えた。

私はしばらくぼんやりと、赤紫色に輝く雲海を眺めていた。歯の痛みや問題も含めて、それら全てが生きていることの実感の証だと思った。2017/1/18

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