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664. 習慣的・突発的な文章執筆


昨日は、ほぼ一日中、第二弾の書籍の加筆修正を行っていたように思う。もちろん、早朝の早い時間帯に少しばかり学術論文に目を通したり、昼食前にランニングに出かけたりしていたが、基本的には残りの時間を執筆に充てていたように思う。

そのおかげで、随分と中身の体裁が整ったように思う。昨日積み残していた章に対して、今日も加筆修正を行っていきたい。

文章を執筆している最中、そこにはいろいろなリズムがあることに気づく。特に昨日は、自分の精神状態と言葉が生み出されるリズムに着目をしていた。

両者のリズムが合致するとき、私は「書く」という行為と一体になれるのだとわかり始めた。ここでも、シンクロナイゼーションの重要性を知る。つまり、精神状態のリズムと言葉が生み出されるリズムの双方が同調しなければ、書くという行為と一体になることはできないということを知ったのだ。

さらに興味深いのは、二つのリズムが合致するとき、行為との一体化という一段次元の違うリズムが生み出されることだ。シンクロナイゼーションにはもしかすると、何かしらの二つのリズムを同調させることにとどまらず、同調からさらに新たな別種のリズムを生み出す力があるのかもしれない、ということを思った。

書籍の加筆修正を続けていたとき、ある時点でふと、私が毎日書き残している日記の時間帯について思考が飛び移っていた。これまでは、特にどの時間帯に日記を書くということを決めておらず、気の向いたときに筆を走らせていた。

だが、よくよく自分が日記を書く時間帯を思い返してみると、朝と夕方あたりに多いことに気づいた。ここから、日記を書く時間帯をある程度設定し、文章を書く習慣をより強固にしてもいいのではないかと思った。

文章というのは、毎日書いていないと錆び付いてしまうようなものだとつくづく思う。より厳密には、文章を毎日書いていないと、自分の内側から言葉を紡ぎ出す装置に淀みが生じる感覚がするのである。

あるいは、言葉を紡ぎ出すエネルギー体の筋力が劣化していく感覚があるのだ。それらを防ぐためにも、そして、日々の足取りを少しでも形に残しておくためにも、私は日記を毎日書き続ける必要があるのだと思う。

そこから、日記を書く時間帯に関しては、まずは起床直後の朝の習慣的実践を終えた後に、すぐさま何かしらの文章を書いておきたい。そこで書き残す文章は、主に昨日の振り返りやその日に取り組むべき探究課題や仕事に関する内容になるだろう。

そして、夕方か晩にその日一日の振り返りを兼ねた文章を書き残しておきたい。そうすれば、少なくとも朝夕の二回にわたって何かしらの文章を書くという修練を積むことができる。

こうした習慣が定着すれば、自分の在り方や生き方を含め、内面世界の成熟にも確かな変化が起こるだろう。そして、文章を書く際に重要なのは、時に抑えがたい執筆衝動に根ざして言葉を紡ぎ出していくことだ。

朝夕に何らかの文章を執筆することは、習慣的実践であり、修練の要素が多分にあるため、そこに強い言葉の力が内包されるとは限らない。往々にして、その逆のケースが見られるかもしれない。

やはり文章を書き残す際に大事にしたいのは、それを表現しなければならない明確な理由であり、表現することを内側から強く促す感情や感覚の存在である。

文章として書き残しておきたいことは、一日のどの時間帯にやってくるかは不明であり、非常に突発的に目の前に現れるものなのだ。そのため、衝動的に文章として書き留めておきたい思念が沸いたら、その都度メモの形でも良いので何らかの文章を書き残しておくことが大事になるだろう。

今日から、朝夕の二回は必ず文章を執筆することを習慣とし、あとは自分の身に降りかかる突発的な衝動に従って文書を書き残すことを継続させていきたいと思う。2017/1/18

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