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658. きらめく星と五十代の頃


living(生きること)とlearning(学ぶこと)に何か違いがあるのだろうか?と最近思う。どちらも英語の頭文字が ”L”で始まっていることがとても気になっている。

単なる偶然だろうが、そこには偶然を超えた何かがあるような気がしている。生きることと学ぶことを切り分けることは、今の私にはできようもない。

生きることは学ぶことであり、学ぶことは生きることであるように思えて仕方ないのだ。私が学ぶ実感を得る時、それは強烈なまでの生きる実感につながっている。そこからも、学ぶことと生きることは、私の中で一本の切れない線を成していると言える。

現在私は、人間の発達を複雑性科学のダイナミックシステムアプローチの観点から探究している。この探究アプローチはとても科学的なものである。一方、人間の発達に関して哲学的な観点から探究することも並行して行なっている。

現在所属している環境の都合上、どうしても科学的な論文や専門書を読むことが多いが、時間を見つけて哲学関連の論文や専門書にも目を通すようにしている。つまり現在は、科学的な探究に傾斜する自分がいる一方で、その傾斜が極端にならないように、哲学的な探究を補佐としている自分がいるのだ。

夕食をとりながら、食卓の窓から夜空を眺めると、そこにはひときわ強い光を放つ星がきらめいていた。その星の輝きを見た瞬間、自分はいつか、科学そのものを哲学的に探究するような試みに着手し始めることを知った。

そして、それは五十代になってからのことであり、欧米のどこかの大学院で、「科学哲学」を探究しているのだと知った。その背後に根拠のようなものは全くなく、これは突然の啓示であり、これからの人生の流れの中でそれは変わりうることなのかもしれない。

ただし、そうした考えが降ってきたということだけは、疑いようもなく確かなことである。それにしても、食卓の窓から見えるあの星は、よく輝くものだと感心させられる。

どうすればあのように、太陽の光に埋没することなく、太陽の光を用いて己を輝かせることができるのだろうか。光を見るための眼だけではなく、光の輝きに眼をくらまされることなく世界を見通すための眼をさらに開いていく必要がある。そのようなことを思わされた。2017/1/14

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