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632. 瀬戸内海の海岸線より


実家に滞在することのできる期間は短かったが、それでも二回ほど実家の目の前に広がる瀬戸内海の海岸を走ることができた。穏やかな瀬戸内海を眺めながら海岸を走るとき、私の意識は観想的な状態になる。

そして、そこから一挙に意識が拡張するのを感じるのだ。目の前に広がる瀬戸内海と同じ広さの意識へ、そして、上空に広がる果てしない空と同じ広さの意識へといざなわれていく。

打ち寄せる波の音に耳を傾けてみると、その音の強弱や音階は常に異なったものである。また、打ち寄せる波の波形も常に異なったものである。一つとして同じ音や形のない波を見て、驚かない人はいないだろう。

ここに万物の生成流転を見ないだろうか。瞬刻瞬刻が常に以前と異なるものとして再創造されている姿を捉えるとき、私自身も同様に、耐えず再創造を繰り返すことを宿命づけられた存在なのだと改めて知る。

目の前に広がる海岸線の端から端まで駆け抜けていく。その足取りは、一歩一歩が実感の伴った確かなものである。

早く走る必要など一切ない。走り続ける過程の中で、海岸線に足跡を残し、足跡の一つ一つに対して意味を付与していくことが何よりも大切だ。

海岸線の端に到達し、折り返しをした。折り返しのために来た道を振り返ると、自分が長い距離を走ってきたことをその時に初めて知る。

来た道と同じ海岸線を走っていても、二度と同じ場所を踏むことができないことに対して、神妙な気持ちになった。あの一歩はもはや二度とやってこないのだ。

瀬戸内海の波と呼応するように、私の心も耐えず穏やかであった。そこでふと、小さな男の子とその母親の姿が目に飛び込んできた。二人は波打ち際に立ち、波と戯れていた。

その姿を見たとき、一つとして同じ音や形のない千変万化する波と戯れることの大切さを知った。ここで述べている波とは、今目の前に映っている波だけを表すのではない。この世に存在する全ての存在のことを指すのだ。

そして、戯れるということの意味は、千変万化する存在との交流であり関与である。また、その親子を見ながら、人間の一生についても想いを馳せずにはいられなかった。

私の内側から、「それはそれとしてそのままがいい」という言葉が姿を現した。全ての存在が絶えず千変万化を繰り広げていることを考えると、変化を無理に加速させることや自然な変化を抑圧することは避けなければならないことだと思ったのだ。

全ての存在の千変万化を創出する伽藍を保護することが重要だ。そのようなことを胸に思いながら私は海岸をただただ走り続けていた。2017/1/5

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