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630. 雲竜のごとく


島根県にある足立美術館で見た横山大観の作品に対する印象が、自分の深層部分で依然として振動を続けているのがわかる。足立美術館で購入した大観の画集を昨夜も就寝前に眺めていた。

大観の作品はどれも少なからず私を打つものがあるのは確かであるが、大観が89歳の時に創作した最後の作品『山川悠遠』は圧倒的な力を放っている。この作品を眺めた時、大観が到達した画境がいかに高潔で深遠なものかを思い知らされることになるだろう。

美術館で実物を見た時にも思わず立ち止まらざるを得なかったし、画集においてもそれを食い入るように眺めざるを得なかったのは、大観が創作したものの中でもこの作品が圧巻だからだろう。表現者の内面が真に深まる時、外面世界での表現物がここまで強力な霊力を放ちうるというのを改めて学ばせていただいた。

これは私にとって大きな励みであるとともに、少々お袈裟な表現で言えば、この世界で自分が生きていくことの頼みの綱をさらに太いものにしてもらったような感覚である。大観の作品を理解するには、私の内面の成熟度は非常に未熟である。

大観の作品に支えられながら、励ましを受けながら、そして時に未熟ぶりを痛感させられながら、私も自分の仕事を残していきたいと思う。

美術館で実物を眺め、作品説明を読んでいた時に、横山大観が日本の思想家である岡倉天心を師としていたことを初めて知った。天心がボストン美術館から招聘を受けた際に、大観を連れて渡米していたという史実を知ったのだ。

ボストン美術館は、私にとって忘れることのできない場所であり、そこで心を打たれた東洋美術作品の源流に、天心の貢献があるのではないかと思った。天心について調べてみると、彼はボストン美術館の中国・日本美術の代表を務めていたそうなのだ。

今回の足立美術館の訪問をきっかけに、大観・天心・ボストン美術館と私という存在が一本の線で結ばれたような気がした。この線は、日本人としての私にとって、生命線のように重要なものである。一人の探究者かつ表現者として、二人の巨匠との間に共通線を見出せたことは何よりも大きな意味を持つ。

渡欧前後の数ヶ月間において、私は精神的な錯乱状態に置かれることがあったが、どんよりとしたそれらの分厚い雲を突き抜けることができたように思う。雲竜のごとく、自分の内側の何かが昇天を続けているのがわかる。

内面世界の深みに沈みこんでいくとき、もはやその静けさに困惑することは断じてない。そうした清澄さの中に溶け込みながら、決して揺らぐことのない一点が絶えずそこに存在していることを知っている。

絶えず昇天を続ける雲竜の背中にこの一点を乗せ、大観や天心が到達した境地にいつか辿り着けるように、毎日を形作っていかなければならない。2017/1/4

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