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615. 執筆後の感覚


今日はいつもより多くの睡眠時間を取り、七時に起床した。起床後、朝の習慣的日課を済ませてから、書籍の執筆に取り掛かった。

午前中に最終章の前半を書き上げたところでランニングに出かけた。午後からは、最終章の後半に取り掛かり、本日をもって無事に一通りの文章を書き上げることができた。

本日あえて執筆しなかったのは、本書の中でも最も大切に取り組みたいと思っていた最終章の最後の項目である。この項目は、どうしても時間をかけながら取り組みたいと思っている箇所である。この箇所は、明日の午前中に取り組みたいと思う。

明日の午前中をもってして、全ての文章を書き上げることができたら、しばらく文章を寝かせておこうと思う。この作業は極めて大切である。人間の成長と同様に、文章も熟成期間が必要なのだ。

これは文字通り、執筆後の文章に全く目を通さない期間を設けることを意味する。この期間を設けた後に、再び文章に手を加えていくことが大事なのだ。

説明が足りない箇所には説明を加え、説明が冗長な箇所は説明を簡略化する。そして、各章ごとのレベル感を合わせる作業も行なっていく必要があるだろう。

さらには、各章を分断されたものにするのではなく、各章が有機的なつながりを持つように手を加えていく必要があるだろう。これらの作業を全て終えたら、初稿として出版社に提出しようと思う。

今回の書籍も、事前に決めたペースに従いながら書き上げることができた。興味深いのは、書き上げた文章のエネルギーには、変動性が見られることである。つまり、言葉の密度にバラツキがあるということだ。

そのため、文章を寝かせた後にやらなければならないのは、文章のわかりやすさを最優先に確保した上で、言葉の密度のバラツキを整え、文章全体の言葉の密度をいかに引き上げていくかにあるだろう。

毎日15,000字から20,000字の文章を書くことによって、日記に文章を書き留める言葉のエネルギーが残されていなかったことにも気づいた。日記に何かを書き留めておこうと思っても、「何か」が出てくることもなく、言葉が湧き上がってくることもなかったのだ。

もちろん、単純に一定量以上の文章を書いたことによる影響だと思うが、どうもそれ以外にも原因がありそうだ。執筆の期間、言葉にすべき体験を必ずしていたと思うのだが、それを捉える言葉が出てこなかったことを覚えておく必要がある。

明日からは、再び日常に戻る。ここからまた探究を始めたい。2016/12/20

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