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602. 無秩序の中の規則性


ここで綴られている日々の日記というのは、基本的に、私を取り巻くとりとめもないことを書き記したものであるため、何らテーマのようなものが見出せないことに気づくことがある。

先ほどは、あるテーマに沿って筆を走らせようと思っていたのだが、文章の一行目が誕生した瞬間に、そのテーマが忘却の彼方に葬り去られ、結局、当初予定していない内容を、想定外の形で書き進めることになった。

このように、一日単位というミクロな時間間隔で、自分の記事を眺めてみたとき、一貫するテーマのようなものを見出せないことがある。しかしながら、数ヶ月単位というメソな時間間隔や年単位というマクロな時間間隔で、自分の過去の記事を眺めてみたとき、思わぬ一貫したテーマを見出すことがある。

これはまさに、現在私が行っている応用数学のダイナミックシステムアプローチを活用した研究に相通じるものがある。どういうことかというと、ダイナミックシステムアプローチの根幹的な思想に、一見無秩序に思える現象にも、規則性が潜んでいることがある、という考え方がある。

まさに、「決定論的カオス(deterministic chaos)」などの現象は、その最たる例だろう。今私が研究している「ダイナミックシステム」と呼ばれる現象には、その挙動を規定する法則性が潜んでいると想定されている。

そうした発想をもとに、自分が書き留めた日記を巨視的な観点かつダイナミックシステムアプローチの観点から眺めてみると、無秩序に思える記事の群れの中には、ある一定の法則性のような一貫したテーマが見え隠れしているように思うのだ。

こうした一貫したテーマというのは、まさに、一人の探究者としての私の存在と密接に関わったものだと思う。そのため、こうした一貫するテーマを発見することや、そのテーマを深掘りしていくことは、自分の仕事を前に進める上で非常に大きな重要性を持つように思う。 多様な人々との出会いや無数の出来事との遭遇によって、私たちの人生は形作られていく。そのような特性を持つ人生の中で、実は各人固有の一貫したテーマが存在しているのではないかと思う。これは興味深くもあり、奇妙なことでもある。

自分の日記を振り返ってみる時、自分が出会う人々や体験する出来事をある一貫したテーマという規則性の中で捉えているように思うのだ。こうした規則性が人との出会いや体験との遭遇を決定しているように思うのと同時に、そうした人々との出会いや体験が、自分のテーマの一貫性をさらに深めているようにも思える。

このように考えてみると、自己のテーマと自己を取り巻く全てのものは、相互作用をなしているように見えてくるのだ。おそらく、一人の個としての真なる自覚とは、自己の一貫したテーマの発見を契機とする。

私たちが、自己を取り巻くものと真の意味で相互作用を開始するのは、兎にも角にもこうしたテーマの発見がなければ起こらないように思えてならない。個としての点が築けていない状況では、結局のところ、相互作用的関係を構築することは難しく、単なる授受関係を結ぶことに留まるように思える。2016/12/8

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